第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会
学校水道
〔解説〕
七郷小中学校の水源調査
教育長 金子慶助
七郷小中学校の水不足は久しく地域の人々の悩みの種子であるが、近代学校教育の上では、飲料水のみでなく各種の実験をはじめ水を多量に要することは、とても昔の比ではない。村当局や議会でも夙(つと)にこの必要を認め村教育委員会や両校PTAの要望を容れて先ず給水設備の第一段階として、その水源の探索にのり出すことになり。昨年度の当所予算にその経費を計上された。
『菅谷村報道』98号「解説」 1959年(昭和34)4月15日
さてその方法であるがそれには電探法に地下水源の調査がよかろうということで、いろいろ検討した結果、昨夏旱天の際各地で活躍好評を博した県立川越農業高等学校の農業土木科の技術陣に依頼することになつた。電探法は地中に電気を通じその抵抗値(単位はオーム)を記録しこれを曲【線】グラフで表はし判断する方法で今回は地下三十米まで測つた。
元来硬い岩石は抵抗が大きく水は小さいから深さに応じてこのオームを曲線で表わせば、何米下に水があるかを知ることができる。
しかし夏秋の頃は作物の関係もあり又地表に水が多いので、晩秋から冬季の方が測定に便利であるし晴天続きのときが望ましいので調査は第一回を二月十五日第二回を三月二十九日に行い、学校附近を中心として合計一〇ヶ所について行つたが、越畑金泉寺裏で、次は七郷農協の井戸附近でといふことになつた。
金泉寺裏井戸附近は地表に湧水もあるが、四米に厚さ約三米の帯水層があり、その下四米は硬い層でその下に又帯水層があるから十三米の深さの井戸でよいが、その下の帯水層も取り入れて二十五米の井戸なら極めてよい。
又農協井戸附近は地下約四米に厚さ四米の帯水層があり、その下七米は硬い地層でその下に又二米の帯水層がありその下又七米の硬質層があつてその下に二米の厚さの帯水層がありこゝまで掘れば約二十四米の井戸となる。其他小学校前の谷間中学校西県道下墓地附近(四ヶ所)加須川【粕川】合流点榎の木附近等を測つたが、いずれも下になるほど、帯水層になるが、これを受ける硬い層がないため、井戸としては見込がないとのことであつた。
この調査にあつて、唯一心に精密な測定された松本、大沢両先生、これに協力された四名の川農高菅谷分校の生徒諸君、並に七郷小中学校の校長教頭はじめ諸先生にお礼申しあげると共に立入りを快諾された地主各位に感謝してやみません。
この水源調査の結果は、当初の希望予測とは程遠いものである。将来一、〇〇〇人にも及ぶ学校児童生徒の給水源は如何にすべきかの、問題は又別な課題である。