ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第1節:社会基盤・通信・交通

分譲地・地産団地

1970年(昭和45)8月、嵐山町(当時は菅谷村)では新都市計画法による市街化区域と市街化調整区域の「線引き」が行われました。株式会社地産と地産団地造成協議(分譲予定873戸)が成立し、翌71年(昭和46)9月より建て売り住宅の分譲が始まりました。


(チサン団地の建設が始まった。48年(1973)までに873戸の家を建築分譲する。これが完成すると人口は3000人ぐらい増加し、新しい変化が嵐山町にも起るだろう。)

『嵐山町報道』210号 1971年(昭和46)1月25日

撮影:1971年(昭和46)1月

地産団地造成工事|写真1

地産団地造成工事|写真2
中央奥の山が笠山、トラックの右後は遠ノ平山。

地産団地造成工事|写真3
志賀・市野川沿いの耕地を通る送電線の鉄塔。

地産団地造成工事|写真4
中央が広野・金皿山(かなさらやま)。中央から右が太郎丸の集落。

地産団地造成工事|写真5
左が金皿山。中央が太郎丸の集落。

地産団地造成工事|写真6
工事の看板の後が杉山・川袋の集落。

地産団地造成工事|写真7

このページの先頭へ ▲