第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
菅谷中学校
「私たちの教室を」生徒大会で増築交渉 菅谷
比企郡菅谷中学校の生徒たちは「早く教室を作つて下さい」と自主的に運動をはじめた。同中学校は小学校と同居しているので三百五十名に七教室。教室の片方で女生徒がお裁ほうやつていると、一方で男生徒が工作で本箱をガンガンたたくというありさま。新学期からは四百名にふえるのであとどうしてもあと四教室、すくなくとも二教室は必要というので三月十九日一年生の学年大会をひらき、委員十七名をえらんで廿二日と廿三日校長が高崎村長とあい■■■を交渉した。村長は「中学校舎は独立して建築することになつているので、小学校に建て増しするわけにはゆかない」という説。
日本共産党埼玉県委員会『新埼玉』1949年(昭和24)4月17日
学校へもどつた委員は一年と二年の大会をひらいて報告し「村長さんだけではだめだ。学生新聞を出して全生徒によびかけ、街頭に出て村のみなさんにおねがいしよう」ときめようとしたところ教師が「学校内で大会をひらくときには校長のおゆるしを得なければいけない」「増築してしまえば予算がそれだけ少くなる。学校としても村の方でも中学校は独立して新築する意向なのだから……」と生徒大会を解散させた。しかし生徒の間にはこれでは納まらず「わたしたちの血の出るようなさけびを村民にわかつてもらわなければ勉強もできない」と新学年とともにふたたび生徒たちの運動が起ろうとしている。