第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
旧制中学校・高等女学校
信ずる心
四年 金子ひさ子
今日も相変らず蒸暑い。……
「一降り来ればよいが」と誰のくちからももれた。登山で疲労を覚えた体には、あるくのもいささか苦痛を感じた。
グウグウ腸がなる。「母さんおなかがなるの」
台所の方で、何やら話して居た母、「よはった子だね」としかめ顔がちらりとこちらを向いた。
「叔父さんの所へ、行って来なさい、大した事はないんだらうけど」
言葉と同時に眼は時計に注がれた。
「四時を少し過ぎてゐるから今夜泊っていらっしゃい」
グウグウ、ゴロゴロ内憂外患の状態である。
頭上でも盛んにゴロゴロが連発し、止むかと思へば又グウグウ……。不安を抱いて家の門を出た。
一足毎にグウグウ……
又も胃腸病!その上夏と来てゐるので、不安は益々重なって来る。ひょっとしたら、チブス?赤痢?思ふとなほさら鳴る様な心持がするばかり……
青春の時代にある者が医者通ひかと、思はず瞼(まぶた)の温まるのを感じた。
菅谷に行くと、何時もの車がないので、叔父のいらっしゃらないといふ事だけは知れた。
「御免下さい」出ていらっしゃた御叔母さん「何んの用事」「御なかをこはしたの」
「弱った子だね」ここでも弱った子が突発された。奥の間へ行くと、子供達が休んで居た。
私の来た事が知れたと見えていきなり「おれも姉ちゃんも、御なかをこはしたの、父ちゃんが、暑っけあたりだと言ったよ。」
同類項を見出した上、病は!!暑っけ当り、俄に全身に快気が走った。
空も今までの様子がからりと変って涼しい風が吹き出したと同時に一さぶり……
後は、庭上に数個の行潦*1が名残(なごり)とされて居た。叔父も帰り、一家揃って、夕涼みをする。
叔父より診察を受けた。色々と徴候を話すとやはり暑っけと診断を受けた。
「これは、食前だよ」と早速持って来て下さった水薬を一口飲む。
腸のいたみも急になほり、うなりもいくらか音声を小くした様な気がした。
何といふ事であらう。医者と言ったとて誤診をしないとも限らない。又薬だって調合に間違ひないとも断言出来得ない。
それをそれを大切な我が身に飲み込んで、直感的にその感を抱くは……
これも、信ずる心の揺ぎであらうか。
初めて信ずる心の偉大さを感じた。*1:行潦(にわたずみ/こうろう)…雨が降ったりして地上にたまった水。水たまり。
川越高女同窓会校友会『会報』17号 1929年(昭和4)12月23日 136頁〜137頁