第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
七郷小学校
カラースライド「子供は学校でどう育って行くか」シナリオ
七郷小学校教頭 藤野豊吉
1登校、2週番、3自習(八時から八時二十分まで)。4ラジオ体操。5朝礼、6朝礼、7算数の勉強、8理科の勉強、9国語の勉強、10社会の勉強、11音楽の勉強、12図工の勉強、13体育の勉強、14家庭科の勉強、15教科外の勉強(1)掃除、15(2)購買部、15(3)習字部、15(4)理科部、15(5)運動部
1 登校
安全に学校に着くように少年団の組織で学校へ参ります。隣近所のつきあい、ふるい言葉で言うと組合内、大人の社会と同じようで、子供には子供の社会があります。
その社会の一員として登校が社会のきまりを守る大事な勉強になります。
いろいろの問題があろうと思いますが、大人の社会と子供の社会とは趣を異にしています。その点、皆様から問題があろうと思いますが、長い目で見て行ってほしいのです。2 週番
週番の子供ははじまる三十分前に登校します。役目は非常に重くなっています。
其の日一日の全生徒の学校生活のせわをします。おまわりさんの仕事ではありませんけれども、そうした事もいたします。遊びの指導、校庭内外の整理整頓、先生への協力等が中心ですが、一週間の学校のしつけの目標をたてて、それが実行出来るように骨を折ります。3 自習(八時から八時二十分まで)
其の日の日程を考えて勉強の準備をします。宿題を忘れた人は宿題をやります。
予習や復習をやります。一年や二年はまだ計画をたてて自習するという事はむりです。それまで精神が発達していません。先生が問題を黒板に出してやります。一日の勉強の出発点です。週番はこの間に自習のはじまった知らせ、自習の督励などに巡視します。4 ラジオ体操
子供のからだの成長はすばらしいものです。随分運動をします。一日に三時間か四時間、激しいヘトヘトになる程度は運動をしないと満足出来ないほど、体力は旺盛なものだという事を学者が説明しています。
若しも之を押えて運動させないと、わき道へそれて、なかなか手におえないいたずらをします。
私達のからだは日常の生活にはあまり使わない筋肉があります。又、姿勢等も崩れ勝です。殊に骨の発達も若い子供達には正しい運動をさせないと、均勢な発達は望まれません。そこで学校のはじまる準備としてラジオ体操を毎朝行います。
運動して、伸び伸びした気持で拡声器から流れ出す美しい音楽に合わせて行進を起して教室へはいります。5 朝礼
毎週月曜日と土曜日のラジオ体操のあと、朝礼をいたします。
校長先生のお話、時局の問題、躾の問題、今週の予定、或は今週の反省(土曜日)、善行をほめる等々、子供への話題は豊富です。怒るとか、一部の生徒を叱るとか、そういう事はありません。子供の成長をじっと見つめて少しでも正しい成長を念願する指導の言葉であります。6 朝礼
週番のおはなし、代表が今週の目あてをはなします。今週はおじぎをよくする習慣をつくりましょうとか、自習をしっかりやりましょうとか、運動場の外へは出ないようにしましょうとかお話します。これが全体の子供の守る一週間のめあてです。子供達は自分達の代表の言うことですから、よくきいています。これが生徒の躾になります。
7 算数の勉強
学校の教育が知識だけの仕事であったのは昔のこと、今では人間教育、人格養成の教育であるとは、皆様も御承知の事と存じます。しかし、その人格をより発達させるのは、昔はよみかきそろばんと言って、算数の勉強をさせました。今もそれには変りありません。唯機械的な仕事ではなく、実際のものについて出来るだけ深く考えを及ぼすということが重んじられています。ともすれば昔のようなつるかめ算といった架空な問題におちいり易い算数を、現実の生の社会の出来事を児童の生活に結びつけて勉強をすすめます。その為には実測を重んじ、機械を使っての勉強になります。教科書にかじりついてばかりいた算数から実際経験をもとにした算数となったのが違っておりましょうか。
九千何百万かの人口を持つ日本の現状は将来どう進んで行く可きか大きな問題だと思います。工業立国の声が高いが、そうした方面に進出としたら、算数はその根本をなすものですから、理科と共に非常に重視されねばなりません。8 理科の勉強
算数の基礎の上に理科の学習があるは、小学校よりも中学、高校、大学と進むに従って深さを増します。
然し、小学校の理科は子供の力に応じて、理科が面白く勉強出来るようなしくみになっています。私共が学校で学んだ理科とは丸で想像もつかないような方法で行われます。桜の花は花弁が何枚、がくが何枚、めしべが何本、おしべが何本、それを図にかいて理科の勉強はおしまいでした。
今はこおろぎの勉強だと、実際にこおろぎをとって来て飼い、どうに餌を食うか、いつ一番たべるか、どんなものをたべるか、なくのはどうするのか、このなき声は何こおろぎか、めすはなくか、おすがなくときどうするかは羽をとってこすり合わせる音が出るか、どうすれば音が出せるか、卵はどううむか、卵をとっておいて来年子を育てて見るというように、単に一時間の勉強で終りではありません。どこまでも正しくきまりよく、しかも根気よく、見たり、きいたり、せわしたりしているうちに、やがてはむづかしい理科の勉強に入って行けるようにします。大きな機関車の構造、汽船の構造も、精密な時計、ラジオ、飛行機の理解も組たても、自動車も、自由に運転、故障も自分で直せるような理科的知識、技能等への基礎をして、理科は勉強されます。科学の世の中といわれる現代に生きぬく子供をつくる理科とならねばなりません。9 国語の勉強
自分の思う事が思うように言えること。自分の考えを正しく書けることや人の話を正しくききとることが出来るには国語の力であることが比較的に忘れられている事を認識していただきたいと思います。ですから本をよむ事も勿論大事ですが、おうちでべらべら子供がしゃべると「うるさい、だまって本でもよめ」と雷様が落ちるが、大事な発表の練習ですから是非これはしゃべらせて下さい。
「書は姓名を記するにある」といった某支那の学者は当時の有名な書家であったり、「沈黙は最大の雄弁なり」といった或る人は世に稀な雄弁家であったりします。むだ口はたたくが用の口がきけぬというのは、まだ口が充分言えないから、用の口まで言えないのだとお考え下さることを望みます。本もよませたい事はたしかです。充分よませて下さい。本をよむ事によって知識内容が豊かになりますし。しかし昔のように本をいただいて即ち教科書をいただいて読むという思想から、教科書は参考書だという考えになりました。ですから教科書以外の本も出来るだけ読ませていただきたい。
こう申すと国語はいい加減にやっているのかとお叱りを受けるか知りませんが、学校の国語の時間は出来るだけ克明に一字一字に気をつけて、教科書を取扱っています。それに加えて発表(口をきくこと)を出来るだけ訓練して物が言える子にしたいと思います。これが近代人特質です。10 社会の勉強
世の中が進むにつれて私達は社会人としてよりよく生活して行かなければなりません。殊に民主社会というのは理想社会とされていますが今世界でも完成されたものはありません。勿論、完成ということは困難ですが封建社会から出発してまだ十年の我が国では民主社会をつくることは容易な事ではありません。
然し進歩した国家は皆民主社会を作ろうとあらゆる研究を続けています。この意味から社会科の勉強がはじまっているのです。昔の地理や歴史や修身をよせあつめたのではありません。現実の社会の中の機構、即ちくみたてやら、活動やらをあらゆる角度から見つめて正しい社会構造を考えて行かねばなりません。其の為、問題の教科、問題の多い教科だと云えましょう。
私達の日常生活が千何百年の歴史の上にたれられる日本の地域に限られ、これは将来世界につながらなければならない。その上に立って経済上、精神上ゆたかな生活をうちたてていくにはどうしなければならないか、ここに道徳の角度からの検討も必要になりましょう。
その為いろいろの方面から私達の生活の基底、即ち生活のもとを研究するのがこの教科で一面とらえにくいと思われます。今この教科に要求される道徳的躾、社会科学の上にうちたてられた生活を、私共は生徒と共に建設しようとしています。
独善であってはなりません。自分だけの生活であってはなりません。どうか皆様も色々と御支援下さいまして、共々理想社会の建設をいたしましょう。11 音楽の勉強
私達の生活は音楽につながっています。機嫌のよい時等うたをうたい、極端にいうと歩くことさえ音楽の一部です。どんな未開の土人でもふえを持ち、太鼓を持ち、弦楽器の一種類位持っています。ピアノ、オルガンだけが音楽を奏するのではありません。
盆踊りの太鼓、笛、鉦、それにうた−捨てがたい味があります。
私達は音楽によって美しい心が育ちます。私利私欲打算だけの生活はいかに薄っぺらなものであるかはどなたも御承知の事と思います。嘗(か)って関東大震災の折に廃きょと化した東京の夜の町にハーモニカの音をきいて東京の復興を想い、遭難した船客が流木へつかまって生死のほども知らぬ際、うたをくちづさんだこと、これは如何なる困難に遭遇しても美しい心情が再起えの心をゆり動かしたものです。
私共は音楽と云えば難解な西洋音楽を考えるが、それ以前に生活の中にある音楽から進歩した音楽えの過程を学ぼうではありませんか。
音楽では子供は大分進んでいます。ラジオでも音楽のない放送は殆どありません。子供と共に学びましょう。12 図工の勉強
音楽と共に美しい心を養う教科として図画と工作の学習があります。自然の美しさを絵に表わし、或は工作によって表現するものです。
かくこと、作ることが美意識を持つのは当然ですが、それと共に自然の中に美を発見するという大事なことがあります。
小学校一、二年生は自己中心性で、動作も衝動的です。思いついたことをすぐそのまま実行します。絵にかかせると思いもつかないようなものをかいて得々としています。ですから、とんだりはねたりしているなかに美を感じるのですね。高学年になると然々落着いて自然美を充分にとはいえませんが発見して表現できます。
子供達の絵を見、別な方面から云うと、作文などにも美を発見した事がかかれています。音楽と共に美意識を養う大事な教科です。13 体育の勉強
「使えば肥る」という言葉が私達の身体については言えます。勿論程度を越しては過労現象で一種の病気であります。
小学校の子供の身体はまだ固らないと言う言葉が適当のように考えられますが、弾力性があり、柔軟性に満ちています。ですから鍛練はむりです。保育という意味で体育が行われます。
目標としては身体の均勢な発達を目途としておりますから、いろいろの体操をいたします。徒手の体操で一応からだの調子をととのえてから跳箱をとび、鉄棒を使い、マットの上でくるくる廻りをしています。駆歩は全身の運動で、運動の時間には必ず行います。これと同様なのは縄とび。これは非常に強い運動です。こうした基礎的運動の上に競技によって精神面の練成も併せて心身共に健康なからだの育成に心掛けています。中学校へ行きますと相当まで体力が出来ますので相当はげしい鍛練的な体育になります。
「命あっての物種」という諺(ことわざ)がありますが、身体あっての私達の生活があるのです。
身体の健康と精神の健康を念願する小学校の体育は保護者的使命をもちながら子供達の身体の均整な発達を希望していることが、戦時中或はそれ以前の体操と違うところでしょう。
子供は体操がすきです。殊(こと)に野球がすきです。ここから新しい発展の芽を伸ばすことも大切な行き方であると考へています。14 家庭科の勉強
子供達一日の生活を時間的にみると家族に於ける生活時間というものは相当に長いものだとお考え出来るでしょう。そこでその生活をよりよく指導することは非常に大事だと思います。其の意味から家庭生活をどうすべきかという事を一年生からべんきょうします。
しかし教科として特別な時間を持つのは五年生以上です。嘗ては家事裁縫といって女生徒だけが縫物をしたり、料理をしたりしたのでありますが、今は料理や裁縫は家庭科のほんの一部でありまして、中心を貫くものは家庭に於ける生活をどうやったら時間的にも経済的にも或いは家庭和合の上からもうまく出来るかという事の勉強です。世の中が進むにつれて、女性だけが家庭の凡てを守り、男性が外で働くということから離れつつあるのではないでしょうか。夫婦共稼ぎの家を相当に出来つつあるのではないでしょうか。そうなると時に男性が家事をやらねばならぬようになりましょう。和才洋才いろいろの問題について考えたいのですが、これは又次の機会にゆづりましよう。15 教科外の活動
(1)掃除
自分達の生活の場所をきれいにして楽しく勉強するということは人としてだれもが行う事だと思います。
学校でも掃除をいたしますことは皆様御承知の通りです。然し学校の掃除は単にそこをきれいにするというだけが目的ではありません。
学校の子供は五十人いれば五十いろで随分いろいろの生徒がいます。授業時間におはなししようとしても返事もしないし自分から進んで手をあげて話さない子もいます。休みの時間に話そうとしても人数が多いからなかなか思うようにいきません。掃除は最もよい機会です。子供と一緒に机を片付けながら今日の話、家の話、世の中の出来事、勉強のこととて、とても話題はあります。
先生と生活が親しくなれる一番よいときです。先生はことときをねらって子供の心を知ります。子供と仲よくなります。学校の掃除が教育的に行われるということは一般と変っている点であります。(2)購買部
私共の生活のうちで自己の利益のための活動と社会にサービスする生活と大別してこの二つに分けられると思う。
子供の学校生活が社会人を養成することを目途として現代教育の中にはこうしたサービスが多分に織り込まれています。前にごらんに入れたように登下校の少年団の活動のしごと、掃除など代表的なものであります。
購買部はそうしたサービス機関であると共に経済面に関する社会科の勉強にも役立つと思われます。
よい品を買うことが社会生活に重要なことであり、而も廉価に供給することが生活必緊なことではないでしょうか。昔から安物買いの銭失いのたとえがあります。
購買部は売れさえすればよいというのではなく、実用品を廉価に供給することをモットーにしています。これが社会奉仕の精神を培う大事な勉強だと思います。(3)習字部
すきな人がより集って其の道をたのしみ又たすけあって共に向上するという事は社会にはたくさんあります。子供の世界にもなかなか多いものです。ここをねらってクラブ活動というものを学校生活の中にとり入れて教育を進めてまいりました。
習字部は主として毛筆のクラブです。旧小学校、国民学校の時代には習字は独立した教科として扱われて来ましたから、毎週時間割を決めて書き方といって習った事を皆様御記憶の事と思います。而し六三制の新しい学校では習字は国語の中へ入ってしまい、ただかくというかたちで僅かの時間が含まれているだけです。
時代は非常に進んで一字一字筆で書くということが許されないほど忙しくなりました。即ちスピード時代です。鉛筆、ペンを使うかわりにタイプで手紙を書くようになり、或は云うことをテープにとる、即ちテープレコードにするというようになりました。
そこで時間のかかる毛筆での書き方は自然とりのこされ勝です。然し私達は毛筆による毛筆の文字から離れられません。墨こん鮮かと申しまして、ふすまの文字、かけ軸の文字から非常ななつかしみを忘れられません。
ここに習字部の起りがあります。墨游の会員となって練習されている子供さんもありましょうが、学校はそれに関係ないでクラブ員を組織していると思います。
同好の士と申しますか、協力の人と申しますか、その人達の集りです。(4)理科部
今年度は学校として全教科の向上はもとよりであるが理科を特別に研究しようと目標を立てて全先生方の研究もすすめられています。去る十一月、菅谷班の先生方を招いてこの研究の成果を発表いたしました。そのために理科のクラブ活動は一層拍車をかけて子供達はとても研究に努めています。
気象の観測、栽培植物の管理、各種植物の植込み、農地の開発と栽培等、その活動は盛んで、こうした勉強の中に科学への芽が伸びていくと考えられます。
科学の発達は特殊なものは別として、一般に我が国は劣るとされています。数学的知能は日本人は優秀だと世界で折紙がつけられていますのに、科学心が乏しいというのは、根深い迷信と理科的施設が劣り研究機関が少ない【為】と存じます。人口問題を考え、将来の産業国家というものを考えますと、どうしても理科的教育を振興させ科学生活を向上させなければならないと痛感いたします。国家としても遅いながらこの方面に着眼して、昨年あたりから理科振興法*という法律を作りました。
子供こ理科的関心を高めるために今後も大いに努力したいと思いますので皆様の御協力をお願いする次第です。(5)運動部
子供が運動することは正常な精神状態を伸すために重要なものであることは前に述べました。
『昭和卅年度七郷小学校職員研究報告書』1955年
クラブ活動の運動部は運動の本旨に沿うことは勿論でありますが、そのうち特にクラブ活動としてねらっている【のは】協力の精神陶冶であります。協力の精神的協力というのは一寸解り兼ねることがあります。
殊に小学校の子供は精神発達が未完成でありますし、身体を通し、体験を通して協力しなければ、協力という精神は養われにくいのであります。そのため言うよりは実行であります。実行による協力は体育が一番よいと考えられます。子供の遊びの生活の中に体育が発展し、より高次の体育へと進みます。器材を使う体操から陸上競技、ドッヂボール、ソフト、野球等協力の誠心がなければとうてい成立しないものであります。
ともすると知識万能に進みたがるのが学校教育であります。而しその前に人間教育即ち人格育成こそ、いまの教育のねらいです。これで学校でこどもはどう育っていくかを終ります。