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第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校

第2節:幼稚園・保育園・小学校

七郷小学校

※栗原正敏:1913年(大正2)7月、七郷村(現・嵐山町)広野に生まれる。1920年(大正9)4月七郷尋常高等小学校入学、1926年(大正15)3月七郷尋常高等小学校尋常科(現・嵐山町立七郷小学校)卒業、同年4月埼玉県立松山中学校(現・埼玉県立松山高等学校)へ入学。この日記は尋常科3年、満8才の時のものである。

栗原正敏大正11年日記1

四月四日 火曜 曇
けさ、ひよこをくらちゃんにおろしてもら居ました。僕はたいさううれしゅうございました。

四月五日 水曜 晴
大風が吹きました。

四月六日 木曜 晴
僕がくもを取って居ますと、友ちゃんがくもを取ってやらうといへましたから、はいといふと取ってくれました。僕はたいさううれしゅうございました。

四月七日 金曜 雨
学校に行きますと先生は女の先生でした。

四月八日 土曜 晴
おぢいさんがうさぎのエをつんできなさいといひましたから「はい」といってつみに行きましたが、さっぱりありませんが、すこしつんで来まして「おぢいさん、つんできました。」といひますと「それだけか。もうすこしつんできなさい」といひましたから「はい。」といって又つみに行きましたけれど、さきのをも入て来ましたから、すこしつんでもさきよりはたくさんになります。

四月九日 日曜 晴
もりちゃんのうちへいって、「もりちゃんこう。」とよびますと、「はい」といって出て来て、「ひるまからかいどりをしよう。」といひました。

四月十日 月曜 晴
かあちゃんがかへって、僕にくつとくつしたどめとくつしたをおみやげに下さいました。僕はたいさううれしゅうございました。

四月十一日 火曜 晴
けふはちんぢさいで学校はやすみでした。僕はゆみをいてあそびました。

四月十二日 水曜 晴
僕があそびにともちゃんのうちへ行きますと、ぎぢうさんや又ちゃんがあそびにきて居ました。僕は「おにごとをしてあそぼう。」といったら「さあ」といっておにごとをしました。一ばんはじめは友ちゃんでした。さうして又ちゃんをつかまへました。僕もしまひおにに二度なりました。僕がきの上にのぼって居ましたら、友ちゃんと永ちゃんが下を通りましたが、ゆくときは行ってしまひましたが、くる時はつかまってしまひました。僕はおもしろかったです。

四月十三日 木曜 曇
今日、鶴吉君の事を思ひだしたから手がみを出さうとしましたが、おそくなったのでねてしまひました。

四月十四日 金曜 雨
学校でさわぎっこをして、ふく神をなくしてしまいました。

四月十五日 土曜 晴
僕は小刀をなくしたと思って、さはぎっこをした所を見ましたがありません。僕はうちへきて「おばあさん、小刀をなくしてしまいました。」といひますと「どこへおいたのだ。」といひましたから「ふところに入れおきました」といひますと「さうか。」といってふところの中を見ますとあ、ありました。僕はたいさううれしうございました。

栗原正敏日記(尋常科3年時) 1922年(大正11)

栗原正敏大正11年日記2

四月十六日 日曜 晴
いもうととうさぎのえをつみに行きました。

四月十七日 月曜 晴雨

四月十八日 火曜 晴
学校でしゃしんをうつしました。

四月十九日 水曜 晴
今日は家のすすはきです。
僕も学校からかへって手つだへました。ます子は「わたしもふく。」といってふきましたので、こしゃくだといはれました。

四月二十日 木曜 晴
大さふじの手つだへをして、ほうびに、まんぢうをもらいました。

四月二十一日 金曜 晴夕立
ねこがひよこを取ってたべてしまいました。僕はたいさうかはいさうでした。

四月二十二日 土曜 晴
おかあさんにおこされて、はねおきて見ますとお天気はやうございました。僕はたいさう、うれしゅうございました。遠足のしたくをして学校へ行くとちゅうで高等一年、二年にあへました。学校の門を出て南へ向へました。さうして、かはしまのきぢん様*1ヘよって、れいをしてすこしやすんで出かけました。

*1:川島の鬼鎮神社

四月二十三日 日曜 晴
いもうとと、いくさのまねをしてあそびました。僕はたいさうおもしろうございました。

四月二十四日 月曜 雨
今日学校で、しょうかぼん*2をかへました。

*2:唱歌本のことと思われる。

四月二十五日 火曜 晴
今日うちでやうさんえんじつ*3がありました。

*3:養蚕演説のことと思われる。

四月二十六日 水曜 晴
ひよこのえにどぜうをすくひに行きましたが、たくさんすくったので、にてたべようと思ひましたが、ひよこにどぜうをやりますと、おばあさんがよろこびました。

四月二十七日 木曜 晴
僕らが先生に「うえきばをこしらへてよいですか。」といひますと「よいでせうが馬場先生にききなさい。」といひましたから、「はい。」といって、馬場先生に、「うえきばをこしらへてもよいですか。」といひますと「よい。」といひました。僕はたいさう、うれしうございました。

四月二十八日 金曜 晴
友ちゃんとかへどりをしてたくさん取りました。

四月二十九日 土曜 晴
友ちゃんとかへどりをして、たくさん取って、おとうさんへ十銭で売って五銭づつわけました。

四月三十日 日曜 晴
せきのふしんで川をかへました。そしてぎうたを五、六ぴき取りました。それを友ちゃんがもらって来ました。かへる時、僕にぎうたを一ぴきくれました。僕はよろこんですぐに池に入れました。

五月一日 月曜 晴
いもうとと、さわぎっこをして僕がくひつきますと、いもうとがおこってけんくわになってしまひましたから、僕が「かんべん、かんべん。」といってあやまりますとけんくわはすぐおいてしまいました。

五月二日 火曜 曇
学校からかへるとちゃうでよいことを見ました。それは正ちゃんとたけをさんが一年生のかばんをしょってやりましたのを見て、僕はよいことだと思ひました。

五月三日 水曜 曇
しゅうしんの時間に四をよみました。そこは金次郎さんが川ぶしんに出た所です。その時先生がだれかよそのしごとをして一銭でも取ったものはないかといって、みよちゃんを出して、「みよちゃんは二年の時に五たびくまぜ*4を売るにでたさうだ。みよちゃんのことを「金次郎さんのづぎにえらい。」といひました。

*4:「くまで」のことか。

五月四日 木曜 晴
今日はしんたいげんさでした。大野君と小林君と島田君とかみをくばりました。

五月五日 金曜 晴
今日は目と耳とてとむねの方とせぼねを見たのでした。

五月六日 土曜 晴
うけをおいてどぜうをとって、三ぴきのこしておきばりをおきました。

五月七日 日曜 晴
おとうさんのおつかへに手がみをもって行きました。

五月八日 月曜 晴
もりちゃんとがらすうけをおいて居ましたら、まさやんが馬をあらっていてかへるころあげました。僕のははいって居ましたが、もりちゃんのは一ぴきもはいりませんでした。

五月九日 火曜 曇
さんじゅつの時間にしやうしん*5を見せていただきました。

*5:不明。「写真」のことか。

五月十日 水曜 晴
ひるやすみに先生とおにごっこをしました。僕はしまいおににならうと思ひましたからみつけられますとどこでもかけまはりました。くたびれてやみ■になっては手をふりまはしてやういにつかまりませんでしたが、しまいおににはなれませんでした。たいさうおもしろかったです。

五月十一日 木曜 晴曇
ならぶと校長先生がなにをはなすかと思ふと「学校のやねにのぼってすずめのたまごをとるものがあります。去年もとったものがあります。これからはのぼってとってはいけません。」とおっしゃいました。

五月十二日 金曜 曇
今日学校で、けしごむをかへました。

五月十三日 土曜 晴
友ちゃんとさかなつりに行って四ひきつりました。一ぴきはあかんばやで、二ひきはきんぶです。あと一ぴきはしろんぺたでした。

五月十四日 日曜 曇
今夜こそ、おとうさんと僕と下女と三人でよぼりに出てたくさんぶちました。

五月十五日 月曜 曇
やくばでほうさうをうえました*6

*6:疱瘡(ほうそう)。ここでは種痘のこと。

五月十六日 火曜 曇
友ちゃんがたなでろかしを買ひました。

五月十七日 水曜 晴
うまがけがをしたのでけだものをみるおいしゃあさまにみてもらいました。すると「ふんとうのことはわからない。」とおっしゃいました。

五月十八日 木曜 晴
しゃしんを今日よこしたのです。

五月十九日 金曜 晴
つづりかたの時間によみかたにしました。つづりかただと思ってよういをしたものもありました。

五月二十日 土曜 晴
がらすうけをおいてはじめはたくさんはいりましたが、二度めおいたのは二ひきしかはいりませんでした。

五月二十一日 日曜 晴
がらすうけをおいてたくさんとりました。

五月二十二日 月曜 晴
自転車のけいこをして、おちてけがをしました。

五月二十三日 火曜 半晴
今日は僕のくみのさふじでした。

五月二十四日 水曜 晴
たいせつにもってゐたがらすうけをとうとう今日こわしてしまゐました。

五月二十五日 木曜 晴
たいさうの時間にいんしう*7をしました。僕の方は二度負けました。

*7:演習のことと思われる。

五月二十六日 金曜 晴
池にさかなつりに行って一ぴきもつりませんでした。それでくやしくなったのでかへどりをしてどぜう*8

*8:ここで終わっている。

栗原正敏日記(尋常科3年時) 1922年(大正11)

5月7日〜5月22日の日記は、もう一部ある。同じ内容ではないので「3」として掲載する。
2は青インクで○がついている日があるため、誰かに見せていたと推測される。1と3にはそのような○はついていない。

栗原正敏大正11年日記3

五月七日 日曜 曇
がらすうけを下女にすがやに行ったついでに買って来てもらいました。僕はたいさうよろこんで、すぐおきましたが、いくひきもはいりませんでした。

五月八日 月曜 晴
もりちゃんとがらすうけをおいてついていましたら、まさやんが馬をあらいにきました。そしてかへるころあげましたが、もりちゃんのは一ぴきしかはいりませんでしたが、僕のはたくさんはいって居ました。

五月九日 火曜 曇
がらすうけをもりちゃんとおきに行っておきましたが、よいふうにおこうと思ってあげますと、がらすうけはしつとけてしまったのですぐはいって足でみつけてとりました。

五月十日 水曜 晴
さはぎっこをしえつくいにぶつかって、なくやうにいたかったです。

五月十一日 木曜 晴曇
僕はマサヲさんとさわぎっこをして、おってくると僕がわざところがりますとマサヲさんもころがります。僕はたいさうおもしろかったです。

五月十二日 金曜 曇
くわを二度かついで来ました。

五月十三日 土曜 晴
よぼりにゆこうと思って居ましたが、よその人が来て、おとうさんとゆくことができませんのでなきなきねてしまいました。

五月十四日 日曜 曇
おばあさんが小川でやひ*1をやいた。おみやげに僕にははりやすを二本下さいました。

*1:おきゅう。

五月十五日 月曜 曇
学校でえんぷつをかへました。

五月十六日 火曜 曇
おかあさんに買って来ていただいた、たいせつにもってゐたたから舟と、鳥かごと、たけのことすずと、なんのかのみがついてあるものをこしにつけて行きました。

五月十七日 水曜 晴
さかなつりに行って三ぴきしかつりませんでした。

五月十八日 木曜 晴
今日見たいっしゃは「なほる。」といったので、家では大よろこびです。*2
僕の方がたいそうの時間にけんびきふ【顕微鏡】を二だい見ました。先生はぼうえんけふ【望遠鏡】で見ました。
くわもぎの手つだいをしました。

*2:「大正11年日記2」の5月17日には、「うまがけがをしたのでけだものをみるおいしゃあさまにみてもらいました。すると「ふんとうのことはわからない。」とおっしゃいました。」とある。

五月十九日 金曜 晴
今日池でかあちゃんに、さかなをつってもらいました。友ちゃんが、かへどりをするのを見て居ました。ぎうたの大きいのを取りました。

五月二十日 土曜 晴
よみかたの時間にさんじゅつのしけんがありました。

五月二十一日 日曜 晴
今日池でもりちゃんに、ぎんぶを四ひきつってもらいました。

五月二十二日 月曜 晴
鳥がねずみをとってたべました。めづらしかった。
今日やくばでほうそう【疱瘡】を見せました。僕のことを「つかない。」とおっしゃいました。

栗原正敏日記(尋常科3年時) 1922年(大正11)
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