ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第4節:養蚕・畜産

武蔵酪農創立四十周年の歩み

武蔵酪農設立の経緯

1 背景並びに設立の経過

 比企郡の酪農については、昭和12年(1937)頃より17年(1942)頃にかけて菅谷村(現・嵐山町)、宮前村、福田村(現・滑川町)、竹沢村、小川町、八和田村(現・小川町)、玉川村(現・ときがわ町)、亀井村(現・鳩山町)、唐子村、野本村、松山町(現・東松山市)、吉見村(現・吉見町)、小見野村、八ツ保村(現・川島町)等の各町村の有志が相前後して酪農をとり入れ、埼玉酪農組合の各支部が結成されていた。
 それ以前は古くは明治の頃より乳牛を飼育し牛舎(牛乳屋)へ貸付けていたのが酪農の前身でもある。
 戦前戦後の埼玉の酪農の原乳は森永の寄居工場に出荷されており、その頃の寄居工場は乳製品工場で乳価についても加工乳価格で取引されていた。
 戦時下牛乳も他の物資と同じく統制下におかれ乳業会社も統制会社として終戦後も業務が続けられ昭和23年(1948)に会社の再編が行なわれた。
 昭和24年(1949)埼玉酪農組合内部に於て、役員間で組合運営取引先等の問題で意見の対立が発生したかに聞き及んでいる。又菅谷村駅前に事務所のあった比企酪農組合に於ても同様の問題が起こっていた。
 そこで新たな目標をかかげた比企郡に於ける武蔵酪農組合発足にかかわる酪農指導者達である武井孝次郎氏(宮前村)、田中盈氏(松山町)、松本完氏(八和田村)、吉田龍次郎氏(竹沢村)、山田眞平氏(菅谷村)、福島敬三氏(八ツ保村)、中島信治氏(菅谷村)、山下米吉氏(西吉見村)、武井與平氏(菅谷村)、高坂清一氏(宮前村)、山下武二氏(菅谷村)、荒井照雄氏(唐子村)、高橋増三氏(菅谷村)、松本博氏(川本村)、市川仙之助氏(野本村)、新井甚次氏(野本村)等その他数多くの有志達は、埼玉県の酪農家の原乳が加工乳価格で取引きされている現状をうれい、今後は埼玉の酪農を市乳地帯の基盤固めにすべく、乳価についても市乳価格で取引きしなければならないという大きな理想をかかげ時代を先取りするためにも、単なる組合の分裂行動でなくして、埼玉県の酪農基盤を市乳圏に入れることにより酪農家の経済基盤の安定向上を図る錦の御旗を掲げ、各地区に於て会合を設け、幾多の困難をのりこえ乍ら数多くの同志の賛同により結束を固めたのである。
 代表者により時の東京都の市乳の主流をなしていた東京乳業株式会社と交渉に入り、国生専務取締役(後の明治乳業KK)と交渉が妥結し、内部に於ては集送乳について着々態勢を整え、集乳については長谷部正氏(宮前村)、木村氏(大岡村)、志村氏(小見野村)、送乳については横塚元吉氏(後の旭運輸KK社長)等の絶大なる協力を得て、昭和24年(1949)10月16日「3石4斗」の原乳をもって東京乳業株式会社板橋工場への出荷が開始された。
 そして武蔵北部酪農農業協同組合設立事務所を菅谷村中島信治氏宅に設けた。昭和24年(1949)10月31日新進気鋭の獣医師伊東勝太郎氏24才(後の明治乳業株式会社専務取締役)が臨床を担当しながら責任者として派遣され着任した。(菅谷村小島屋旅館に単身寄宿、後に宮前村長谷部宅の離れに下宿)、11月1日より直ちに昼夜の別なく勢力的に活動を開始し乳牛の診療並びに地域の会合へと自転車で奔走努力した。
 伊東勝太郎氏は豪快(柔道4段)で人情味豊で明朗な性格と併せて、獣医師として乳牛の妊娠50日〜60日の直腸検査による妊娠鑑定では100発100中の抜群の優れた技術を備え、又高度の診療技術を有していたことが生産者により一層の信頼を得ることになり多くの酪農家の同意者を集める要因となった。(組合発足後の獣医陣の礎をなし急患に備え誰か必ず地域内に残り、緊急の場合でも24時間体制で組合員に迷惑をかけないという思想は今でも継承されている。)
 この頃相前後して秩父郡、大里郡に於ても同様の問題が発生して居り、伊東氏は秩父郡の関係(現全秩酪農組合)も兼務した。
 強力な指導者を得た同志の面々は着々組合設立準備の体制に入り組合設立発起人を選考した。

※組合の名称については武蔵酪農農業協同組合で設立準備をすすめていたが県の指導により武蔵では大きすぎるので北部をつける様指示され、武蔵北部酪農農業協同組合の名称で設立準備をした。
 16名の設立発起人は全員出席の基に昭和24年10月23日以来前後3回の協議会を経て目論見書を作成した。

○設立発起人名簿
住所 氏名 乳牛頭数 耕作反別
菅谷村平沢山田眞平1頭1町2反
菅谷村志賀武井與平2頭1町3反
菅谷村菅谷中島信治2頭6反
宮前村月輪高坂清一2頭1町1反
宮前村月輪大塚眞一1頭1町6反
唐子村上唐子江野武雄1頭1町5反
唐子村上唐子石川峯造1頭1町3反
野本村上野本市川仙之助1頭2町4反
野本村上野本新井甚次1頭1町3反7セ
松山町東平田中盈1頭8反
大岡村大谷小山玉治2頭1町5反
西吉見村南吉見山下米吉2頭9反2セ
東吉見村久保田秋山弥平1頭1町8反
八和田村能増落合兵作1頭4反
唐子村石橋山田喜次1頭8反5セ

【住所の番地は省略した】

○設立目論見書

1. 名称   武蔵北部酪農農業協同組合
1. 地域   埼玉県比企郡、大里郡、秩父郡全域
1. 事務所  埼玉県比企郡菅谷村大字菅谷128番地
1. 組合員の資格
(イ)組合地区内で常時一頭以上の乳牛を飼養する者。
(ロ)組合地区内に住所があって此の組合の施設を利用する事が適当であると認められる個人、又は団体はこの組合の准組合員として加入することが出来る。
備考 組合員となろうとする者が組合員の資格を持っているか否か明瞭でない時は理事会でこれを決する。
1. 出資一口の金額  壱百円
1. 出資の払込方法  出資金は全額を一時に払込むものとする。
1. 賦課金
  事業の為必要ある時のみ総会の決議を経て組合員に賦課する。
1. 事業
(イ)牛乳生産に関する一切の事業
(ロ)牛乳生産に関する必要なる物資の供給
(ハ)乳質改善の研究
(ニ)共同利用施設の設置
(ホ)組合員の生産する牛乳の運搬加工貯蔵又は販売
(ヘ)酪農技術及び酪農事業に関する組合員の知識向上を図る為の教育
(ト)組合員に対する一般的情報の提供
(チ)組合員の経済的地位の改善の為にする団体協約の締結
(リ)前各号の事業に付帯する事業
1. 役員及び職員
   理事   15名
   監事   5名
   参事及び会計主任各1名 職員若干名

○設立準備会

1 開催日時  昭和24年12月11日 午後1時
2 開催場所  武蔵北部酪農農業協同組合設立事務所
3 出席者   50名
4 招集者及び議長
   招集者 発起人代表 中島信治
   議長        山田眞平
5 副議長及び書記の任命
   副議長       田中 盈
   書記        中島年治
6 議事
(1)組合の名称及び事務所の所在地
名称  武蔵北部酪農農業協同組合
所在地 埼玉県比企郡菅谷村大字菅谷128番地に事務所を置く。
(2)組合の地区 比企郡、大里郡、秩父郡全域
(3)組合員の資格
正組合員 組合の地区内で常時一頭以上の乳牛を飼養する者。
准組合員 組合の地区内に住所があって、この組合の施設を利用することが適当と認められる者
組合員となろうとする者が組合員たる資格を有するか否か明らかでない時は理事会が之を定める。
(4)定款作成の基本となる事項の決定
出資一口の金額 一口に付壱百円
出資の払込方法 第1回全額払込
賦課金     事業の為必要と認めたる時総会の決議を経て組合員に賦課する。
事業      左の事業を行う。
生産協同事業  流通協同事業 其の他の協同事業
役員及び職員  理事10名 任期2年 内組合長1名、専務理事1名を互選する。
        監事 3名 任期2年
        本組合に参事1名、会計主任1名を置くことを得、其の他職員若干名を置く。
(5)定款作成委員選任  議長一任
(6)創立総会の日取りの決定
昭和25年1月17日(後に22日に変更) 午前10時より菅谷小学校に於て
(7)決議録署名者指名の件
決議録署名者   中島信治  武井與平
7 閉会   午後5時
                (昭和24年12月18日定款作成)

○定款作成委員名簿
住所 氏名
比企郡菅谷村大字菅谷山田眞平
比企郡菅谷村大字志賀武井與平
比企郡菅谷村大字菅谷中島信治
比企郡宮前村大字月輪高坂清一
比企郡宮前村大字月輪大塚眞一
比企郡唐子村大字上唐子江野武雄
比企郡唐子村大字上唐子石川峯造
比企郡唐子村大字上唐子江野子吉
比企郡唐子村大字石橋山田喜次
比企郡野本村大字上野本 市川仙之助
比企郡野本村大字上野本新井甚次
比企郡松山町大字東平田中盈
比企郡大岡村大字大谷小山玉治
比企郡西吉見村大字南吉見山下米吉
比企郡東吉見村大字久保田秋山弥平
比企郡八和田村大字能増増田伴作
比企郡八和田村大字高見関口治平
比企郡竹澤村大字勝呂落合兵作
比企郡八ツ保村大字畑中福島敬三
比企郡小見野村大字一本木志村栄作

【住所の番地は省略した】

『武蔵酪農創立四十周年の歩み』3頁〜8頁 武蔵酪農農業協同組合編集, 1990年1月
このページの先頭へ ▲