第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
養蚕
明治期に入って、生糸の輸出に占める比率が高まるとともに養蚕、製糸業が盛んになってゆきました。勢い養蚕業においては良質の繭の量産を目論見、各地でその研究・改良が進められました。
古里では1887年(明治20)養蚕飼育改良のため、中村武八郎・中村清介等が発起人となり、青森県人松木定吉を教授として迎え、「古里蚕業伝習所」が設立されました。松木定吉は福島県梁川の田口平兵衛の塾生で、従来の自然育を改良して、火力による温暖育を鼓吹、指導しました。
この考えに賛同した有志は十一ヶ村五十七名、三名の伝習生を加えて研鑽、実践成果を挙げていきました。翌年4月の二週間に比企・男衾・大里・榛沢・入間・山梨に及ぶ地域から八十一名の参観人が訪れ大そうな広がりを示しました。
1894年(明治27)6月の「県報」第85号には蚕の発生から上蔟まで「日数二十四日間ニシテ絶佳至良ノ繭ヲ収メ隣里郷党ノ者温育ノ勝レタルヲ感覚セリ」と報告するまでになりました。この伝習所は1884年(明治17)児玉に創立された競進館とともにこの地域の養蚕業発展の一助となったもので、近代養蚕の先駆的役割を果たしたものと云うことが出来るでしょう。
参考資料
中村常男家文書No.703「養蚕火力飼絵入実験表」
中村常男家文書No.708「埼玉比企郡古里共有養蚕組規約書」
中村常男家文書No.710「養蚕改良飼育法伝習所建設有志嘆願書」
中村常男家文書No.715「養蚕参観人名控帳」
中村常男家文書No.586「日記費用留」
『県報』第85号 明治27年(1894)6月3日付