第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
小倉城・遠山寺
遠山寺(えんざんじ)の墓地の片隅に苔むした宝篋印塔があり、隣にはその伝承を記した碑が建てられています。ここでその碑の内容を紹介します。
遠山右衛門大夫藤原光景の墓
この苔むした宝篋印塔は遠山右衛門大夫光景の墓と称されている。遠山氏の遠い祖先は、建久年代(千二百年代末)に溯る。美濃国遠山荘(現在の岐阜県恵那郡の南部)の出身であり、後北条氏に仕え、曽祖父丹波守直景の時代から江戸城城代を勤める。一方、遠山の南境の小高い山頂に建つ小倉城の城主でもあった。光景の父、右衛門大夫政景は相州鴻之台の合戦において顕著な武勲をたてながらも、祖父綱景とともに討死。その菩提を弔うため、遠山寺に本堂を寄進する。光景の子孫から江戸時代の名町奉行として、テレビや映画のドラマで有名な遠山の金さんこと、遠山左衛門尉景政がでている。光景の没年は天正十五年五月二十九日である。当地に残った子孫は、山下家を名乗っている。
平成十六年十二月吉日
遠山寺二十三世 清純 撰