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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第6節:歴代三役・功労者等

功労者

1846年 弘化3 6月22日井上勝次郎・ちよ の長男として広野に生れる。通称萬吉、文秀斎・春昌・魚樵と号す
1857年 安政3(12歳)杉山義順(寛斎)に就き習字・和漢の書を学ぶ(七年間)
1862年 文久2(17歳)忍藩士塩野瑞翁に随い漢学を修業(五年間)
1866年 慶応2(21歳)金子治三郎(栃木県邑楽郡上五箇村)に就き数学・諸相場割より十乗法まで研究
1869年 明治2(24歳)7月長女みつ誕生
1873年 明治6(28歳)10月熊谷県本庄駅暢発学校徴集生徒となる
1874年 明治7(29歳)2月松山町荒川学校定員生に転校
2月16日舎長申付けられる
6月下等小学卒業
6月熊谷駅暢発学校に入る
1875年 明治8(30歳) 4月上等小学三級卒業。病に因り退校
10月暢発学校下等小学一級卒業
10月熊谷県より上横田学校教員申付けられる
1876年 明治9(31歳)12月上横田学校一等授業生嘱任。兼校長
1878年 明治11(33歳)4月上横田学校四級訓導補嘱任
1880年 明治13(35歳)10月同校退職
11月廣野村戸長となる
1881年 明治14(36歳)12月比企郡第十学区学務委員に加えられる
1882年 明治15(37歳)10月志賀村出火罹災者救助金3円差し出す
11月菅谷分署建築費として金1円差し出す
12月遠山村新道開鑿費として金30銭差し出す
12月職務勉励慰労金1円下賜
1883年 明治16(38歳)10月戸長・学務委員任期満了<
11月廣野村戸長・第十学区学務委員に再任される
1884年 明治17(39歳)1月職務勉励慰労金1円50銭下賜
7月聯合町村制により越畑村聯合となり、同役場首席筆生
1887年 明治20(42歳)3月衛生組合長に当選
12月職務勉励賞金1円下賜
1888年 明治21(43歳)6月押切村持田久五郎を井上萬吉の養嗣子とする
12月比企・横見郡長より越畑村聯合筆生を命ぜられる
1889年 明治22(44歳)1月職務勉励賞金75銭下賜
1月土地取調事務勉励賞金1円50銭下賜
4月村会議員選挙掛に選任される
4月町村制施行。越畑村聯合七ヶ村は七郷村と称し同村村会議員に選ばれ、役場吏員となる
1892年 明治25(47歳)3月菅谷村役場費として金1円50銭寄附す
4月議員任期満了。村会議員選挙掛に選任される
1894年 明治27(49歳)9月陸軍へ軍資金として2円献納
1895年 明治28(50歳)2月書記辞職
3月村会議員・学区会議委員・学務委員に選任される
1896年 明治29(51歳)3月永島弥助宅失火の際消防尽力につき30銭下賜
1897年 明治30(52歳)6月明治二十七・八年戦役(日清戦争)の際軍資金として3円献納に付表彰
1898年 明治31(53歳)1月慈恵救済資金寄附金募集比企七郷村委員を嘱託される
4月七郷村役場新築費として4円10銭余寄附
1903年 明治36(58歳)2月衆議院議員選挙七郷村投票所立会人に選任される
4月官幣中社金讃神社営繕費として金1円寄附
11月慈恵救済資金寄附金募集委員に対し慰労感謝状をうける
1904年 明治37(59歳)4月村会議員に当選
1906年 明治39(61歳)11月明治三十七・八年戦役(日露戦争)の際従軍者家族扶助のため金1円50銭寄附に付表彰
12月比企郡教育会基本金として3円寄附
1906年 明治40(62歳)5月七郷村村長に就任。また軍人分会長となる
7月帝国義勇艦隊建設比企郡奨励委員を委嘱される
1907年 明治41(63歳)4月村長を退職、七郷小学校新築副委員長に就任
1908年 明治42(64歳)6月比企郡徴兵慰労義会解散に当たり村幹事としての尽力に対し木杯一組を記念品として贈呈される
1911年 明治44(66歳)4月学校新築之労により賞状・木杯を賜る
10月曹洞宗大本山総持寺再建勧募委員補に推薦される
1913年 大正2(68歳)2月比企郡地主会に入会
4月学務委員を命ぜられる
9月菅谷第一尋常高等小学校費として金66円寄附に付、木杯下賜される
1914年 大正3(69歳)4月比企郡教育会改元記念基本金として2円寄贈
1917年 大正6(72歳)4月村会議員に当選
1918年 大正7(73歳)3月七郷青年団顧問に推薦される
9月区長に選ばれる。町村制施行以来、常設委員・区長・衛生委員・消防頭取・農会役員・地主会理事を歴任
11月妻かね病歿。行年73歳
1919年 大正8(74歳)4月公職を退任するに当たり送別会が催され、感謝の記念として唐金火鉢一対を贈られる
1920年 大正9(75歳)3月埼玉県消防協会設立に際し金10円寄附
1921年 大正10(76歳)4月村会議員に当選(大正14年4月まで在任)
1924年 大正14(80歳)12月2日逝去。戒名 宝光院萬瑞春晶居士

井上家文書・井上萬吉墓誌・嵐山町議会史 より作成

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