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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第5節:報道委員会と『菅谷村・嵐山町報道』

挨拶に代えて

会長 小林博治 

昔の農夫は自分で自分のことを「お百姓」といった。自分は殿様のものだという意味である。今の農夫は自分を指す場合は「百姓」というだけで「お」はつけない。自分は誰のものでもない自分のものだからである。
 「お百姓」の時代は万事殿様まかせで、唯「お米」を作っていれば事が足りた。世話はないが、意志の自由がない。それが「百姓」の時代になると、もう昔の殿様のような人はいないから何でも自分でしなければならない。面倒でもあるが、楽しみも多い。村長や村議を選んで村の仕事を計画したりその仕事の実行をしなければならない。学校を建てる、道路を修理する、治水や防火や病気の予防や産業の振興等全て自分で計画したり実行したりしなければならない。その費用も自分で出さなければならない。吾々は殿様に絶対服従した時代よりずっと自由になったが、その反面非常に重い責任を負わされてゐる。よい村にするのも、悪い村にするのも、結局自分達であって、他人ではない。我々は一生村から離れて生活することは出来ない。今居る村がいやだといって逃げ出してもその先に又村がある。どこの村へ逃げ込んでもその村で努力を怠ったら、又悪い村になってしまふ。だから我々は現在住む村をよりよい村にするやう努力するより外、道はない。村をよくするには村の事情がよく分からなければならない。お互に意志の疎通が欠けてはならない。有利有益なことを知らせ会う必要もある。国や県のきまりも知らぬと困る。
 此のやうなことに役立ちたいという趣旨で、村に報道委員会が出来ました。そしてその目的を達する方法の一として「報道」が発行されるやうになりました。私は微力で何のお役にも立ちませんが、幸ひ委員の方々は、いづれも人格、識見共に卓絶の+(プラス)であります。村民各位の御指導と御協力を得ましたなら、何か一かど仕事も出来るかと存じます。どうぞよりしくお願ひいたします。

『菅谷村報道』1号 1950年(昭和25)4月20日)

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