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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第11節:社会科副読本

『わたしたちの町 らんざん』昭和52年(1977)

五、町のうつりかわり

(1)むかしの嵐山町(一〇〇年ほど前)

 むかしの嵐山町は、菅谷村 志賀村 平沢村 遠山村 千手堂村 鎌形村 大蔵村 将軍沢村 根岸村 太郎丸村 広野村 勝田村 越畑村 吉田村 古里村 杉山村 などと今の大字が村とよばれ、小さくわかれていました。
 人びとはおもにのうぎょうでくらしをたてていました。山をかいこんして畑にしたり、ひくいところを田にしたり、沼や用水路をつくったりして、じぶんたちのせいかつがゆたかになるようにどりょくしてきました。

嵐山町社会科研究部『わたしたちの町 らんざん』(1977年3月)
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