第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
『わたしたちの町 らんざん』昭和52年(1977)
一、嵐山町のようす
わたしたちのすんでいる嵐山町は、埼玉県のほぼ中央部にあります。町の東は滑川村*1、東松山市、南は鳩山村*2、玉川村*3、西は小川町、北は大里郡の江南村*4、川本村*5、寄居町とせっしています。
*1:現・滑川町。1984年町制施行
*2:現・鳩山町。1982年町制施行
*3:現・ときがわ町。2006年都幾川村と合併
*4:現・熊谷市。1985年町制施行。2007年熊谷市と合併
*5:現・深谷市。1977年町制施行。2006年深谷市、岡部町、花園町と合併町の広さは、やく三〇平方キロメートル、東西四キロメートル、南北一二キロメートル、南北に細長い地形で、ほぼ市の川を境として菅谷地区と七郷地区にわかれ、さらに古里、吉田、鎌形、菅谷など一七の大字にわかれています。
町の東と南には水田が多く、北と西には山林が、中央部は台地で、畑がたくさんあって、交通の便とあわせて、工場や住宅に適しています。鎌形から将軍沢にかけて広がる、嵐山カントリーは、丘陵地を利用してつくられたゴルフ場です。
川は、南部を槻川・都幾川、中央部を市の川・粕川がながれ、滑川は、町の北をながれています。なお、山あいには、大小あわせて、やく一九〇の沼地があって、水は田んぼの用水として利用されています。また、槻川橋から上流を見たながめは武さしらんざんとよばれ景勝地としても有名で、キャンプ場などのしせつがあります。
このほか、嵐山町には歴史上有名な史跡もたくさんあります。
気候は、春秋には、あたたかい日が多く、冬は北西の季節風がふいて寒い日もありますが、雨量は適当にあって、大体しのぎやすい地域にぞくしています。つぎの図に、字名をかきいれましょう。
表:町の広さ(ha)
全体 30.02
田 4.02
畑 6.36
宅地 1.67
山林 9.22
沼地 0.32
その他 8.08表:人口のうつりかわり(S46.5.1)
全体 10912人
男 5407人
女 5505人
人口密度 363人/平方km
世帯数 3624戸急に人数がふえたのはなぜでしょう。
嵐山町社会科研究部『わたしたちの町 らんざん』(1977年3月)
年 世帯数 人口
昭41 1988 9921
42 2100 10151
43 2182 10375
44 2271 10521
45 2311 10707
46 2414 10912
47 2711 11875
48 3209 13553
49 3332 14013
50 3430 14226