第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
四、村の地名
第6節:村々の地名
▽太郎丸村
この村は明治の地租改正の時、従来の字名をすてて、十二支の子から亥までの十二と十干の甲との十三の字名に統合改称したので古い地名は不明になっているが、残ったものを拾うと前掲のようになる。この中に居屋敷、瀬戸、申山など問題の名称がある。
『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
瀬戸は全国的に数多く、尾張の瀬戸はセトモノで有名である。「せと」という言葉の意味は小さな海峡であり、せとぎわは瀬戸と海とのさかいのところであるという。尾張の瀬戸は陶処(すえと)の訛りであろうといはれる。太郎丸の瀬戸はこのどちらにも当っていない。郡村誌によると、瀬戸は内谷(うちやつ)の北に当る地域となっている。背戸の方角である。背戸の呼び名が有名な瀬戸に転じたのではないだろうか。
申山は勝田の猿田と同じように、猿を山の神の使者、又は、猿神として信仰したことから出た名前であろう。尚、猿のつく地名については明治初年にも猿、鹿、猪など数多く付近の山々に棲息していたという記録があるから、現実に猿が棲んでいたのでその名が起ったと考えてもよい。