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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第10節:嵐山町誌

四、村の地名

第5節:特殊な地名

地形地物によるもの

▽鶴巻

 鶴巻(志賀、将軍沢、杉山、吉田)の外に「巻」のつく地名が次のように残っている。腰巻(千手堂、広野)、軽巻、幡巻(越畑)である。先ず、語幹の「巻」の方から考えてみよう。これは「ねがらみ」の項でのべるように、岡の麓に沿うことを、カラム、カラマクといったという説がある。そこで越畑の軽巻は、この「カラマク」の転化で、岡の裾をとり囲んでいる民家乃至道路のある地名ではないかと考えたのである。「巻」は巻きついている、とり囲んでいるという意味らしい。広野の腰巻は、杉山城の腰をとり巻いているからだと地元では考えている。城からは少し距離があるが城の地域を拡大して考え、馬場も杉山城の馬場と言っているのであるから、これに続く腰巻も、城に関係づけることは全く無理とはいえない。千手堂の腰巻は沼下に含まれている。この地帯の丘陵地を廻る道路を指したのであろう。
 語幹の説明のために、軽巻や、腰巻の意味にまで触れる結果となったが、要するに「巻」は、丘陵の麓をとりまく地帯である。勿論そこには民家とか、道路とか、村人の生活に直接役立つものが存在しなければならない。生活に無関係のものは、人の意識に上らないからである。さて次に限定詞の方から考えてみよう。先ず鶴巻である。
 大体民俗学の研究の結果では「ツル」という地形は、盆地の上と下とをくくる谷川の流れの早いところだといっている。尤も「津留」などという文字から考えると、急湍(きゆうたん)になる前の、しばらく静かに湛えた水のことであったかもしれない。然し今はそれが転化して、唯、谷川のがけ下のせまい場所、簗(やな)などに便利な場所などをも指している。本町には「ツル」と単独に称している地名はない。強いていえば将軍沢の南鶴があるが、その他は「ツル」と「マキ」の複合した地名である。ところで鶴巻は、上記の説明にあてはまるかどうか、先ず将軍沢の方は、現在谷田(やつだ)の作られている場所でその谷は他と比して甚だしく長く続いているという。とすればここに谷間の水流があったことは文句なしに肯首出来るし、且つ長い水流が、両側の山麓をとり巻く形に見立てることも出来よう。鶴巻はツルとマクとの二つの地形から起った名称であると考えてよいようである。志賀の場合も、新田沼の附近で水質のよいところであるという。その水が昔どのような姿で流れていたか、今は知る由もないが、新田部落の裾にうねうねと続いていたことも想像出来る。吉田村と杉山村の鶴巻はまだ調査が出来ていないが、矢張り同様の地形が見出されるだろうと思う。かくして鶴巻は、水の流れる丘陵の裾につけた地名であるということになる。
 幡巻(越畑)の幡の意味は分らないが、この地も軽巻に続いた地区であるからこれに類似した地形であるために生じた名前であると思われる。

『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
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