第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
四、村の地名
第4節:地形と地名
平
平のつく地名は、大平(遠山、鎌形、将軍沢)遠の平(志賀)、金平(志賀)などがある。
『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
大平山は鎌形村の西北部にあって、山の北東は千手堂村に属し、その山脈が北方にのびて雷電山に連なっている。西側は遠山村に傾斜して、大平、横吹の地名で呼ばれている。鎌形の大平は、千手堂村の上の山、遠山の大平に接する山の西南部の斜面である。将軍沢村の大平は笛吹峠から北方に傾斜した地域である。
遠の平は志賀村の西隅にあって、頂上で、三ヶ村に分れ、北は中爪村、西は下里村となっている。東南部が志賀村分である。「沿革」には「この山は麓の四方に溜池があり、秩父往還がその裾を通っている。春は全山諸草花を粧(よそ)い、夏は南風颯涼(さつりょう)と吹き、秋は四方山々の紅色を遠望し、冬は秩父連山の白亜を遠景とする。絶景他山に勝れている。」と書いてある。然しここで言いたいのは、そのすぐれた景色、眺望ではなく、字遠ノ平の地域である。これは山頂から北東に傾いた地区で、その裾は池の入、芳の入に続いている。つまり、山の傾斜面である。
金平は「沿革」に「金平ノ原、全原平垣なるも少し東斜ス」と書いてある。「ヒラ」の文字は「平」と書くために大平などときくと、広い平地であるように思われるが、右【上】にあげた「何々ヒラ」はいづれも、山地であって広い平地とはいえない。而して共通しているところがある。それは山側の斜面であるという点である。
山は人の交通の邪魔をしているので、通り易い場所や、困難なところが、注意の的となって、そこに共通の呼び名が出来た。山の向う側に越え易い鞍部は、タワ・トウといい、峠の語原となった。狭い緩斜面はコバ・ハバ少し広いのが、ナル・ノロなどといわれた。この例は、本町ではまだ見られない。「ヒラ」というのは、このような語の仲間で、山側の斜面ということである。
右にあげた大平、遠の平、金平も「ヒラ」という地形語がもとになって出来たものである。大、遠などの限定語は文字のとおり解釈してよいだろう。金平の金については別にのべた。