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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第10節:嵐山町誌

三、村の生活(その二)

第9節:鎮守様と共同体制

祭りと共同意識

 このような行事は村人の意識をどのように形成していったのだろうか。ここが私たちの着目したいところである。一つの場所で一つの時に、一つの定った桶や甕から、その初汲(はつくみ)の酒を神にまいらせ、残りは底の顕(あらわ)れるまで酌みほした。酌みほす程に村人は酔った。人が酔ったと同じように神も酔い給うと信じた。
 臼の餅で腹がふくれた。神もこのように満腹で御満足だと考えた。人々は自らの体験にてらして、神も又かくの如くであると確信した。そして神と人との一体を自覚することが出来たのである。かくして一つの神と一体になり得た一座の村人たちは、これ又一体であり得ぬ道理はない。村人の一体観や共同意識はこのようにしてつくられたと考えてよいのではないか。
 「未熟者の節供働き」は、前述のように、共同体制の秩序を乱すものであるが、乱すと批難される根元は、祭りのつつしみと作法を忘れたことに存するのだ、ということに一層注意しなければなるまい。
 お日待は、日本の祭の原初の姿を止めている。村の神々の祭りもこの古い形の「お籠り」や「直会」が中心となって行なわれていたものであろう。この祭りによって、村人は全ての人々が、最も近い距離で神に接近し、お願いやお礼の対話をした。神と人とは一体であり、従って又、人と人とは同じはらからであると感じた。そしていろいろのグループの共同意識が生れ出た。村という共同体の成立には鎮守様のはたらきがあったと考えるのは、こういう筋からである。くりかえしていうと神社がその祭りを通じて、村民の共同意識を固める役割をした。ところで村の地域内で村民全体に共通の神といえば鎮守様である。鎮守様が各村毎にその団結の中核となっていたのである。その鎮守様はどういう風にして村毎に出来たのだろう。

『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
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