第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
三、村の生活(その二)
第6節:村の家々とその盛衰
広野村宗門改帳
私たちの祖先の住んだ家屋は村の共同事業として建てられた。そしてそれは個人の住居であると共に、村の公共の施設であるという性格をもっていた。これが私たちの調査の結果である。そこで今度はこの住居にどんな人々が暮らしていたのか、しばらくこれに焦点を合わせて、百姓の家庭を覗いてみることにしよう。
『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
「武州比企郡広野村宗旨改帳」(永島一雄氏蔵)は旗本島田藤十郎支配の百姓二十二世帯の記録である。現存の元禄十五年(1702)、宝永八年(1711)、正徳六年(1716)、享保十六年(1731)、享保二十年(1735)の五冊の中から型の異った数種の世帯を選んで、当時の農家の家族構成や、その変動を探ってみると次のようになる。私たちの家も、この中のどれかの型にあてはまるものであったと見てよい。