第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
二、村の生活(その一)
第5節:土地の移動
質地証文の書式
弘化四年(1847)遠山村磯右衛門から太郎丸村宗順宛に出した質地証文の構成を分解すると次の部分から成立している。先ず質地証文之事と題目をかかげ次に、
一、質入の対象となる土地
「上畑五畝拾五歩 字山の根
上畑壱反弐畝弐拾歩 〃 田端
上畑五畝拾歩 〃
上田壱反壱畝拾歩 〃山の根」
二、質入代金
「此質代金七両三分ト永四拾八文」とし。
三、質入の理由
「年々御年貢御上納ニ差支難議ニ付」といって納税義務を果たすためであり。
四、質入をするまでの措置
「組合親類相談の上」
五、質入期間
「当未正月より来ル辰年十二月迄拾ヶ年季ニ相定貴殿方江書面之田畑質地に相渡……」
六、年貢の取扱
「然上は貴殿方ニ而御年貢諸役御勤御支配可被成候」
七、紛議の処理
「此田畑ニ付先判書入など脇より構申者無之若□申者御座候ハヾ加印之者何方迄成リ共出埒明ケ可申」
八、質入地の耕作
「貴殿遠方故地主加印立会小作人相附滞リ無之様可致候」
九、返地
「年季明右之本金返済仕候ハヾ地所証文共御返し可下候」
十、地主証人 質取主
「比企郡遠山村
地主 磯右衛門
証人 次郎右衛門
名主 左 右 造」などとある。質入証文には一定の書式があったと見え、どの証文も大体右に掲げたような項目にしたがって書かれている。条件を並べる順序や言葉の使い方まで大体同じであるといってよい。ところでこの質入条件の中で注意すべき点を挙げると、
一、質入の理由が年貢上納のためであるということ。
二、質入について証人の外名主等村役人がタッチしていること。
三、年貢は質取主が上納すること。
四、質地の耕作者を定めたこと。
五、本金を返したら質入地を地主に返却すること。
この五つであると思う。そこでこれから何故このような条件が生れたのであるか、それを明らかにして村の生活の一班をうかがってみることにする。
『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)