第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
一、村の成立
第2節:検地
太閤検地
太閤検地は、全国の耕地を、一定の統一された基準で測定してこれを石高で結びあわせ、一方では一村限りの検地帳を作成して、耕地一筆毎の年貢負担者を確定し、「年貢」の確保を図り、更に検地施行に続いて、一村限りの「人別改帳」を作って「夫役」負担者を確定し、この二つの仕事によって「百姓」支配の基礎をかためたものである。この太閤検地の施行によって、他方では、将軍や大名のような上級の領主たちはその家臣である「給人」に一定の石高を、「村」を単位に(但し原則として)「知行」として給与し、彼等の土地所有、百姓支配を保証した。そしてこれに伴って給与の石高に応ずる一定の「軍役」を「給人」に賦課して、いざという場合の軍事的編成をととのえることが出来るようにしたのである。
『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)39頁〜40頁
太閤検地の意義を述べた学者の説を分りやすくいうとこんな具合になる。太閤検地とは概ねこのようなものと考えてよいであらう。この太閤検地の行なわれたのは天正十年(1582)から慶長三年(1598)までの十六年間で、北は陸奥から南は薩摩まで全国的に実施されたのである。村の実態を「高」で把握するようになったはじめは太閤検地であるといわれている。