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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第8節:稲村坦元先生原稿「菅谷村史」

坂上田村麻呂事蹟之記

菅谷村大字将軍澤字大宮ニ将軍社アリ、即チ往昔(おうせき)平安ノ當初朝野*1ニ英明嘖々タリシ*2征東将軍坂上田村麿ヲ祭神ト崇敬セルノ先蹤*3タリ、當社ニ關スル古記録等ハ永禄(えいろく)(1558-1570)兵燹*4ニ失ヒシヨリ其實ヲ傳(つた)フルナク創立年紀詳*5ナラズト雖(いえど)モ、古老ノ口碑*6ニ據(よ)レバ、往古坂上田村麿将軍東夷*7征伐ノ際、近傍*8岩殿山ニ巨蛇アリテ土地人民ヲ害セリ、将軍其ノ被害ヲ憫(あわれ)ミ一朝*9之ヲ退治シテ土人*10ヲ安堵セシメタリ、時恰モ*11盛夏タル六月朔日*12ナリシモ、天變雹雪*13ヲ降ラシ寒気強カリシタメ、土人麦稈*14ヲ焚(たき)キ将軍ニ煖ヲ供(そな)エ、其後将軍ノ功徳*15ヲ頌シ*16之ヲ祭祀*17崇敬セリト云フ、今モ尚(な)ホ年々六月(陰暦)一日土人麦稈ヲ焚(たき)テ記念祝祭ヲナス慣例アリテ、比企南部入間北部ノ諸村落ニ及(およ)ベリ、當社古来本村旧字大宮ト唱(とな)フル地ニ鎮座在リテ坂上田村麿将軍大宮権現ト称シ、規模最モ宏壮*18タリシモノニテアリシト云フ(本村元ノ村名及旧大宮ノ地名共ニ當社ニ因(よっ)テ起リシモノ、蓋シ*19他説ニ利仁将軍ニ関セル如クアルハ訛(あやまり))維新明治七年(1874)三月ニ至リ當所ニ奉遷(ほうせん)シ将軍社ト改称セリ、以上ハ傳説ニ止マルモ正史ニ於(お)ケル田村将軍ノ忠良仁勇國家ニ大功有リ、威信並存*20シテ其名聲ノ嘖々(さくさく)タルハ茲(ここ)ニ言フヲ俟(ま)タザル所、獨(ひと)リ當比企入間地方トシテノ将軍ニ慶頼*21シタルノ美談ニシテ苟モ*22自餘*23ノ考證ノ無キ限リハ、本説ハ洵ニ*24将軍ノ為メ一部ノ逸史(いつし)*25傳タルヲ信ズ

*1:朝野(ちょうや)…天下。
*2:嘖々(さくさく)…タリシもてはやし評判すること。
*3:先蹤(せんしょう)…先例。
*4:兵燹(へいせん)…戦争のために起こる火事。
*5:詳(つまびらか)…くわしいさま。
*6:口碑(こうひ)…昔からの言い伝え。
*7:東夷(とうい)…蝦夷(えぞ)の称。
*8:近傍(きんぼう)…近所。
*9:一朝(いっちょう)…わずかの間。
*10:土人(どじん)…土着の人。
*11:恰(あたか)モ…ちょうどその時。
*12:朔日(ついたち)…月の初め。
*13:雹雪(ひようせつ)…ひょうやゆき。
*14:麦稈(ばっかん)…むぎわら。
*15:功徳(くどく)…ごりやく。
*16:頌(しょう)シ…ほめたたえる。
*17:祭祀(さいし)…まつり。
*18:宏壮(こうそう)…広く大きく立派なこと。
*19:蓋(けだし)シ…まさしく。
*20:並存(へいぞん)…いくつかの事が並び存すること。
*21:慶頼(けいらい)…喜び頼りとする。
*22:苟(いやしく)モ…もしも。
*23:自餘(じよ)…このほか。
*24:洵(まこと)ニ…本当に。
*25:逸史(いつし)…正史に書き漏らされている史実。

稲村坦元先生原稿「菅谷村史」
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