ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第8節:稲村坦元先生原稿「菅谷村史」

畠山重忠事蹟之記

菅谷村大字菅谷字城ニ菅谷城趾在リ、秩父荘司次郎畠山重忠ノ鎌倉創業ニ策應*1シ相地築城居守シタルノ古墟タリ、現形*2菅谷宿通(東西)迤南*3数丁ニ位シタル凡(およそ)三丁四方許(ばかり)ノ丘陵ナリ、南邊ハ東流セル都幾川ニ臨ミ、處々(ところどころ)絶壁ヲナシ大率*4五六丈(じょう)ノ高嶂*5連綴*6シ、北邊ハ宿南小名*7元宿(もとじゅく)ト称セル境上ヨリ、平地ニ高キコト二三丈ヲ以テ里道ニ沿フテ蜿蜒*8シ東西復(ま)タ澗田*9谿窪*10ヲ以テ限リ、尚北面左右翼隅*11ニ追手門*12搦手門*13等ノ遺型在リ、四縁ヨリ乳内ニ亘(わた)リ起伏ノ裡*14自然ノ要扼*15ヲ存シ、如今*16ハ陸田*17ニ變シテ多ク桑楮*18其他農植ノ間彼此ニ松栢*19ノ疎林*20或ハ茅薄*21葛蘿*22ノ参差*23タルヲ認ムルノミナルモ、少ナクトモ昔時天嶮*24ノ一壮郭墟タリシヲ偲(しの)バルヽナリ、殊ニ諸種ノ傳説ヲ輳合*25スレバ其東西北陸續ノ三郊*26ハ仍(すなわち)幾数十丁ニ渉(わた)レルノ要塞地タリシヲ覺(おぼ)ユ、宜ナリ*27古史、皆(みな)本城ノ重忠ニ重カリシヲ載(の)セテ大同*28タルコト、其後世、岩松遠江守又ハ太田源六其他ノ在営セシ等ハ姑(しばら)ク措(お)クモ、必ズヤ先ヅ當初ノ主将重忠ヲ以テ該城ノ歴史ヲバ装飾スベシ、抑(そもそ)モ本城址ニ直接ノ関係ヲ有セル重忠ハ青史*29既(すで)ニ已(すで)ニ定論アリ、由来世人ニモ知レタル中ニ就キ略序*30センニ、其家ハ素(もと)関東ノ名豪、特ニ武州秩父ニ於テ奕葉*31ヲ累ネ来リ、祖父重綱父重能*32ニ至リ庄司*33ヲ以テ擢(ぬき)ンデテ源平ノ間ニ著シ、重忠箕裘*34ヲ承(うけつ)グニ及ンデ仁忠才勇父祖ニ超乗*35シ信義徳望ノ歸スル所鎌倉右大将源頼朝ノ親任ニ會(あ)フテ連リニ*36大官*37ヲ司直*38スルヨリ施政ノ偏倚*39ヲ避(さ)クルタメ、北武*40男衾(おぶすま)ノ畠山ニ城(きづ)キ終(つい)ニ更(さら)ニ當菅谷ニ城キ幾(ほと)ント北武全體ヲ管轄スルニ逮(およ)ビ、敢テ求メズシテ威名赫々*41彼レガ如クアリシナリ、重忠ノ人ト為(な)リ誠(まこと)明月ノ如クニシテ、而(し)カモ盈(み)チテ虧(か)ケズ善ク圓ヲ持テルモノ徳望ノ然(しか)ラシムル所、和田義盛ト倶(とも)ニ覇府*42第一ノ左右*43タリ、旦仁忠奇禍*44ヲ避ケズ、頼朝没後、頼家*45・實朝*46ヲ輔安*47スルヲ自任トセルニ反シ、君家外戚ノ大奸*48黨與*49ヲ擧(あげ)テ構陷*50是(これ)務(つと)ムルニ抗(こう)シ、成(な)ラザルニ迫リテ*51寃厄*52ニ斃(たお)レタルモ勇ニシテ義ナリ、其往日*53頼朝ノ蔭子*54三郎忠久ヲ冥護*55擁封*56セル如キ真ニ才ナリ信ナリ、是ニ於テカ八百年来ノ嶋津公爵家ノ今日在リ一*57ニ重忠ノ賜(たまもの)タリ、此他曽我兄弟ニ、又ハ或方面ニ其徳行ヲ致セルコト鮮少*58ニアラザリシ、此菅谷地方幸ニ斯(かか)ル偉人最終ノ治本領内タリ、学校モ因(よっ)テ其城山ヲ冠字トシタリキ、亦将(は)タ斯クノ如キ正大ノ氣象ノ其孰(いず)レニカ調謬*59センコトヲ相思セラル、世説ニ云ヘル菅公*60重盛*61ニ重忠ヲ併(あわ)セテ本朝ノ三聖者トハ、蓋(けだ)シ輿臺子*62輩ノ衆庶ニマデ其人格ヲ首肯*63セシムルノ近キヲ知ルニ足(た)ル、本文ニ由緒アル碑文ヲ掲(かか)クル左【下】ノ如シ

武蔵國比企郡菅谷村者(は)畠山重忠之墟*64也、方(まさに)其盛城備置佛寺曰(いう)長慶、至中世遷於此云、寛永(かんえい)中岡部某公受邑*65、是地有故癈寺、寶永(ほうえい)三年(1706)丙戌(ひのえいぬ)遂以其址賜先太夫多田重勝、命永為塋域*66乃(すなわち)安千手大士名多田堂、没則(ぼっすればすなわち)葬焉(ここに)、子英貞嗣(つぎ)月以其没日會衆*67誦(ずす)普門品已(すでに)十三萬餘巻、先是岡部氏滅而(て)英貞土着、不徒(ただならず)今茲(ここ)建石勒(きざむ)概銘曰
  維春維秋維石維悠
   寛政(かんせい)九年(1797)歳在丁巳(ひのとみ)夏四月十九日
              多田英貞一角甫(ほ)*68誌(しるす)

稲村坦元先生原稿「菅谷村史」

*1:策應(さくおう)…しめしあわせること。
*2:現形(げんけい)…現在の形。
*3:迤南(いなん)…斜め南につらなる。
*4:大率(たいしゅつ)…おおむね。
*5:高嶂(こうしょう)…高くけわしい山。
*6:連綴(れんてつ)…連なること。
*7:小名(こな)…小字。
*8:蜿蜒(えんえん)…うねうねと長いさま。
*9:澗田(かんでん)…「澗」は谷川の意。谷水の田。
*10:谿窪(けいあ)…谷のくぼんだところ。
*11:翼隅(よくぐう)…つばさのはて。
*12:追手門(おうてもん)…大手門、城の正面の門。
*13:搦手門(からめてもん)…城の裏門
*14:裡(うち)…裏の俗字。
*15:要扼(ようやく)…敵を待ち伏せして食い止めること。
*16:如今(じょこん)…今の世。
*17:陸田(りくでん)…はたけ。
*18:桑楮(そうちょ)…桑とこうぞ。
*19:松栢(しょうはく)…松と柏。
*20:疎林(そりん)…木のまばらな林。
*21:茅薄(ぼうはく)…かやとすすき。
*22:葛蘿(かつら)…くずとかづら。
*23:参差(さんさ)…不揃いな樣。
*24:天嶮(てんけん)…自然の要害。
*25:輳合(そうごう)…あつめあわせる。
*26:郊(こう)…郊外。
*27:宜(うべ)ナリ…もっともである。
*28:大同(だいどう)…大体同様である。
*29:青史(せいし)…歴史。
*30:略序(りゃくじょ)…あらましを述べる。
*31:奕葉(えきよう)…代々。
*32:畠山重忠の曽祖父が重綱、祖父が重弘、父が重能となる。
*33:庄司(しょうじ)…荘園領主の命を受けその荘園を管理した職。
*34:箕裘(ききう)…父祖の業をつぐこと。
*35:追い越すこと。
*36:連(しき)リニ…つづけざまに。
*37:大官(だいかん)…大官、高官。
*38:司直(しちょく)…公明正直に司る。
*39:偏倚(へんき)…かたよりもたれる。
*40:北武(ほくぶ)…北武蔵。
*41:赫々(かっかく)…あらわれて盛んなさま。
*42:覇府(はふ)…幕府。
*43:左右(さう)…かたわら。
*44:奇禍(きか)…思いがけない災難。
*45:頼家(よりいえ)…頼朝の長子、二代将軍、比企能員と結んで北条氏を除こうとして伊豆修善寺に幽閉され暗殺された。
*46:實朝(さねとも)…頼朝の次子、三代将軍、鶴岡八幡宮の境内で兄の頼家の子公暁に殺された。
*47:輔安(ほあん)…助力し安んずること。
*48:大奸(たいかん)…非常な悪者。
*49:黨與(とうよ)…なかま。
*50:構陷(こうかん)…無実の罪を作って人をおとしいれる。
*51:迫(せま)リテ…きわまる。
*52:寃厄(えんやく)…無実のわざわい。
*53:往日(おうじつ)…過ぎ去った日。
*54:蔭子(かげこ)…人知れずかくまった子。
*55:冥護(みょうご)…神仏が知らず知らずのうちに守ってくれること。
*56:擁封(ようふう)…まもりふうずる。
*57:一(いつ)…第一
*58:鮮少(せんしょう)…わずか。
*59:調謬(ちょうびゅう)…あやまりをしらべる。
*60:菅原道真。
*61:平重盛。
*62:輿臺子(よだいし)…召使。
*63:首肯(しゅこう)…うなずくこと。
*64:墟(きょ)…古跡。
*65:邑(ゆう)…封土。
*66:塋域(えいいき)…墓所。
*67:會衆(かいしゅう)…会に寄り集まる。
*68:あざな。

畠山重忠事蹟之記の碑|写真
畠山重忠事蹟之記の碑(菅谷)

このページの先頭へ ▲