第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
第一編 自然界
第一章 地界*1
第一節 位置
菅谷村*2ハ比企郡ノ中央ニ位シ、東ハ宮前*3、唐子*4ノ二村ニ接シ、西ハ小川町(おがわまち)及玉川*5、八和田*6ノ二村ニ隣リ、南ハ亀井村*7ト笛吹峠(ふえふきとうげ)ノ山脈ヲ以テ界シ、北ハ市ノ川(いちのかわ)ヲ隔テヽ七郷村*8ト相對セリ。
*1:土地の境界。土地。
*2:菅谷村(すがやむら)…現・埼玉県比企郡(ひきぐん)嵐山町(らんざんまち)。
*3:宮前(みやまえ)…宮前村は現・滑川町(なめがわまち)。
*4:唐子(からこ)…唐子村は現・東松山市。
*5:玉川(たまがわ)…玉川村は現・ときがわ町。
*6:八和田(やわた)…八和田村は現・小川町。
*7:亀井村(かめいむら)…現・鳩山町(はとやままち)。
*8:七郷村(ななさとむら)…現・埼玉県比企郡嵐山町。
※埼玉県では市町村の「町」は慣用として「まち」と読む。「ちょう」ではない。
第二節 地勢
地勢ハ西南ニ丘陵起伏シ、東北ハ概ネ平坦ナリ。都幾川(ときがわ)、槻川(つきがわ)共ニ西南ヨリ来リテ本村ノ中央ニ於テ相合シ、南北ニ両分シテ東ニ流ル。
丘陵ノ最モ高キハ東平山*1ニシテ本村ノ西北隅(すみ)ニ聳(そび)エ大平山(おおびらやま)、塩山*2、槻川ヲ隔テヽ相対立シ何レモ西方ニ鎮タリ。*1:東平山(とうのひらやま)…「遠ノ平山」のこと。
*2:塩山(しおやま)…玉川村(現・ときがわ町)では「正山」の字をあてている。
第三節 土質
土質ハ概(おおむ)ネ腐植質壌土*1ニシテ穀物、蔬菜ノ栽培ニ適ス。
然レトモ都幾川沿岸ハ砂質ヲ帯ビ殊(こと)ニ穀物ニ適当セリ。*1:腐植質壌土(ふしょくしつじょうど)…土性区分の「埴壌土」で、粘土分の組成が全量の37.5〜50パーセントのもの。「壌土」は、粘土分が25〜37.5パーセント。
第四節 廣袤*1
地形東西ニ短ク南北ニ長シ。其長キ所ハ約二里ニ亙(わた)リ短キ処ハ一里ニ近シ。面積約一方里アリテ村内ニ九大字アリ。菅谷(すがや)、志賀(しか)、平沢(ひらさわ)、遠山(とおやま)、千手堂(せんじゅどう)、鎌形(かまがた)、大蔵(おおくら)、根岸(ねぎし)、将軍澤(しょうぐんざわ)ト云フ。大字志賀ノ内ニ小字川島(かわしま)ト云フ部落アリ。明治二十二年(1889)町村制實施ノ際、廣野村(ひろのむら)ヨリ分■シテ合一セルモノナリ。
*1:廣袤(こうぼう)…廣は東西の、袤は南北の長さの意味から、巾と長さ、面積。
第五節 地目反別及民官國有ノ区別
官有地 四五町二反四畝 二歩
民有地 一二九〇町 九畝二十三歩宅地 五二町九反
『菅谷村の郷土誌』1912年(明治45)?
田 一六二町八反四畝 九歩
畑 三二八町二反三畝 十四歩
山林 六〇三町三反三畝二十四歩
原野 一三四町四反七畝二十二歩
池沼 二反六畝二十五歩
雑種地 七反二畝二十二歩