第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
武蔵国比企郡鎌形村
沿革
名稱 鎌形村俚碑ニ曰ク本村ハ鎌形八幡ヲ遷セリト。因ッテ鎌形ノ語アリト云ヘリ。
所属 松山領ニ属シ鎌形郷大河原ノ庄ト唱フ。明治五申年(1872)二月大小[区]ヲ置キ六大区四小区ト称ス。同十二年(1879)四月比企横見郡役所ノ管理ニ属シ、同十七年(1884)七月本村外八ヶ村ヲシテ菅谷村聯合戸長役場ヲ置ク。
分合 往昔ヨリ一村タリシニ寛文ノ頃分レテ内郷、植木山ノ二村トナル。明治七年(1874)二月合セテ一村トナル。
管轄 古時未詳。天正ノ頃ハ松山領ニ属シ同十八年(1590)松山城亡ヒテヨリ北条氏ノ故地八州ヲ以テ徳川氏ニ賜フトナリ。正保ノ頃ヨリ御代官支配所ノヨシ。后元禄十一年(1698)徳川氏ノ臣金田周防守ノ采地タリ。天保十四年卯年(1843)八月武蔵国川越ノ城主松平大和守領地トナル。慶応三卯年(1867)正月同領主前橋ヘ移ル。依ッテ前橋領ト改ム。明治二年(1869)八月前橋藩支配所タリ。明治四年(1871)七月更ニ前橋縣ノ管轄トナル。明治五年(1872)二月入間縣ニ更ル。明治六年(1873)六月熊谷縣ノ所轄トナル。同十二年(1879)四月比企横見郡役所ノ管理ニ属ス。同十七年(1884)七月本村及外八ケ村ヲシテ菅谷村聯合戸長役場ヲ置ク。位置彊域
位置 比企郡西ノ方
東 同郡大蔵村耕地
西 同郡田黒村塩山ノ山脈
南 同郡須江、竹本二村ノ山峯
北 同郡千手堂村大平山ノ頂上。菅谷村槻川ノ中央幅員
東西 拾六丁九間
南北 三十三丁
周回 二里廿三丁四十二間
面積 百十三万六百廿二坪地味
色 白三分 黒七分
質 真土 埴土 壚土(ろど=黒土)
適種 中稲晩稲及大麦ニ宜シ。最楮桑ニ適ス。地勢
山脈 西北塩山大平山ノ両山ヲ負ヒ最嶮ナリ。松、雑木生茂ス
水脈 北方槻川ハ秩父郡笠山ノ北方ヨリ出テ東流シテ本村ニ至ル。南ノ方都幾川ハ大野村ヨリ出テ北流シテ本村ニ至リ、北ノ方千手堂村菅谷村トノ界ニ至リ、二川合水東流シテ大蔵村ニ継ク。筏等通行ニ便ナシ。地種
官有地
第一段別 七反八畝四歩 筆数 四筆
第二段別 ナシ
第三段別 八拾四町四反一畝十六歩 筆数百三十八筆
第四段別 五反六畝歩 筆数 二筆
小計段別 八拾五町七反五畝廿歩 筆数 百四十四筆民有地
第一段別 貳百拾九町四反三畝貳歩 筆数 二千八百九十五筆
第二段別 壱町六反八畝廿歩 筆数 九拾二筆
小計段別 貳百九拾壱町壱反壱畝廿歩 筆数 二千九百八十七筆
總計段別 三百七拾六町八反七畝拾貳歩 筆数 三千百三十一筆里程
元標所在 本村中央字清水
本縣庁ヘ 十一里
本郡役所ヘ 二里壱町
近驛 東 松山町 二里壱町三十七間二尺
西 小川村 二里十町
南 越生村 二里十八町
北 熊谷驛 四里十八町
著名市邑 日本橋ヘ 十七里耕宅地及塩田
民有荒地 田 三反壱畝拾参歩
民有地
田 段別 四拾町貳反廿五歩 筆数 八百四十四筆 地価 貳萬貳千七百五拾九円九拾銭一厘
民有地 畑 段別 九拾八町四反九畝廿歩 筆数 千貳百四筆 地価 壱万四千五百四円廿七銭八厘
宅地 段別 拾八町五反六畝拾八歩 筆数 百五十五筆 地価 四千八百八十六円六拾銭七厘
總計段別 百五拾七町貳反七畝三歩 筆数 二千二百三筆 地価 四万貳千百五十円七十八銭六厘字地
石代(こくだい)
舊字(旧字=きゅうあざ) 石代
段別 五町九反廿六歩
筆数 百廿三筆
番匠免(ばんじょうめん)
舊字 川間
段別 五町貳反貳畝三歩
筆数 百壱筆
木ノ宮(きのみや)
舊字 木ノ宮
段別 五町八反八畝十三歩
筆数 百廿三筆
曽利町(そりまち)
舊字 アナタ
段別 四町七反壱畝十六歩
筆数 九十七筆
兼ヶ谷戸(かねがいと)
舊字 兼ヶ谷戸
段別 五町七反六畝廿八歩
筆数 九十六筆
南門(みなみかど)
舊字 南門、山ノ神
段別 拾貳町壱反廿三歩
筆数 百八十八筆
北原(きたはら)
舊字 原、大倉原
段別 拾三町三畝八歩
筆数 百六十九筆
南原(みなみはら)
舊字 原、大倉原
段別 拾壱町壱反九畝十四歩
筆数 百廿七筆
油免(あぶらめん)
舊字 油免、臺柳沢
段別 四町九反壱畝拾壱歩
筆数 五十七筆
下宿(しもじゅく)
舊字 宿
段別 拾壱町五反六畝五歩
筆数 百九筆
北宿(きたじゅく)
舊字 植木山下
段別 拾町貳反八畝拾九歩
筆数 九十一筆
上宿(かみじゅく)
舊字 宿
段別 八町四反六畝拾歩
筆数 四十八筆
上ノ臺(うえのだい)
舊字 植木山臺
段別 六町五反三畝十八歩
筆数 廿七筆
粟久保(あくぼ)
舊字 粟久保
段別 八町貳反四畝六歩
筆数 四十筆
高城(たかしろ)
舊字 大ヶ谷
段別 壱町七反十八歩
筆数 三十八筆
下大ヶ谷(しもおおがや)
舊字 下大ヶ谷
段別 壱町五反三畝廿八歩
筆数 廿貳筆
上大ヶ谷(かみおおがや)
舊字 丸山
段別 三町九反九畝五歩
筆数 廿壱筆
中大ヶ谷(なかおおがや)
舊字 丸山
段別 六町八反六畝六歩
筆数 六十二筆
亀ノ原(かめのはら)
舊字 玉川界
段別 九町参畝十三歩
筆数 五十筆
南中島(みなみなかじま)
舊字 中島
段別 七町三段九畝十三歩
筆数 九十八筆
北中島(きたなかじま)
舊字 中島、岩清水
段別 七町九反八畝廿二歩
筆数 百三筆
辻ヶ谷戸(つじがやと)
舊字 辻ヶ谷戸、小峰(こみね)
段別 六町五畝廿七歩
筆数 九十五筆
殿ヶ谷戸(とのがいと)【コード表ではとのがやと】
舊字 殿ヶ谷戸
段別 八町壱反廿貳歩
筆数 百六筆
清水(しみず)
舊字 馬場
段別 四町九畝四歩
筆数 五十九筆
馬場(ばば)
舊字 馬場、宮ノ下
段別 五町八段八歩
筆数 七十三筆
前谷(まえやつ)
舊字 上原
段別 八町三反六畝四歩
筆数 五十八筆
東上原(ひがしうえはら)
舊字 上原
段別 拾壱町九反三畝廿八歩
筆数 九拾貳筆
千騎沢(せんぎさわ)【コード表ではせんがさわ】
舊字 千騎沢
段別 八町貳反三畝貳歩
筆数 九十二筆
西上原(にしうえはら)
舊字 上原
段別 六町八反十五歩
筆数 百九筆
後谷(うしろやつ)
舊字 上原
段別 三町三反七畝九歩
筆数 三十七筆
塩山(しおやま)
舊字 西裏
段別 五町四反八畝四歩
筆数 五十四筆
女久保(おなくぼ)
舊字 女久保
段別 三町七反五畝十三歩
筆数 廿六筆
細原(ほそばら)
舊字 小畔
段別 三町三段三畝三歩
筆数 四十三筆
塩澤(しおざわ)
舊字 塩沢【澤?】
段別 九町八反壱畝十八歩
筆数 七十四筆
西落合(にしおちあい)
舊字 落合
段別 五町七反九畝十五歩
筆数 七十筆
東落合(ひがしおちあい)【地元では中落合(なかおちあい)】
舊字 落合
段別 拾壱町五反五畝廿六歩
筆数 百五十三筆
野銭場(やせんば)
舊字 落合
段別 貳町壱反七畝拾貳歩
筆数 八十八筆
大平(おおびら)
舊字 比丘尼山
段別 拾貳町壱反九畝廿一歩
筆数 壱筆戸数
平民 本籍 百四十二戸
内 現住 百四十二戸
入寄留 管外二戸 管内一戸
小計 百四十五戸
合計本籍 百四十二戸
現住 百四十二戸
入寄留 管外二戸 管内一戸
総計 百四十五戸平民
本籍 戸主 男百三十八人 女四人 計百四十二人
家族 男三百五人 女三百九拾六人 計七百壱人
合 八百四十三人 現住八百四十三人
入寄留 管外 戸主 男二人 女〇 計二人
家族 男三人 女三人 計六人
合八人
管内 戸主 男一人 女〇 計一人
家族 男二人 女三人 計五人
合六人
繳合(きょうごう) 拾四人
總計 男四百五十一人 女四百六人 計八百五十七人本籍年令
五年未満 男六十人 女五十三人 合百十三人
五年以上 男五十三人 女五十二人 合百五人
十年以上 男四十人 女四十四人 合八十四人
十五年以上 男三十二人 女二十七人 合五十九人
廿年以上 男四十一人 女三十八人 合七十九人
廿五年以上 男二十五人 女二十六人 合五十一人
三十年以上 男廿九人 女十六人 合四十五人
三十五年以上 男三十九人 女二十八人 合六十七人
四十年以上 男二十三人 女二十六人 合四十九人
四十五年以上 男二十四人 女二十二人 合四十六人
五十年以上 男二十七人 女十六人 合四十三人
五十五年以上 男十四人 女十四人 合二十八人
六十年以上 男十五人 女十四人 合二十九人
六十五年以上 男十一人 女八人 合十九人
七十年以上 男三人 女九人 合十二人
七十五年以上 男五人 女四人 合九人
八十年以上 男二人 女〇 合二人
八十五年以上 男〇 女二人 合二人
總計 男四百四十三人 女四百人 合八百四十三人生死及就籍除籍
出生 男十七人 女三人 合二十人
就籍 男四人 女五人 合九人
計 男二十一人 女八人 合二十九人
死亡 男八人 女七人 合十五人
除籍 男三人 女十二人 合十五人
計 男十一人 女十九人 合三十人牛馬
牛 〇
馬 内種牡五十九頭 外種ナシ 合計五十九頭車
荷車 大六以上廿五輌 合計廿五輌
神社
○八幡社
所在 村ノ中央字清水 坪数二千八十六坪
祭神 譽田別尊(ほんだわけのみこと)
社格 村社
創建年月日 末詳
祭日 毎年九月十五日
氏子 百五十八戸
末社 四社 琴平社 白和瀬社 菅原社 山神社
現任宮司若クハ祠官ノ名 齋藤周養
雑 天正十九年(1591)社領廿石ヲ賜ハリ寛文四年(1664)焼失セシカ貞享(じょうきょう)二年(1685)再ビ御朱印ヲ賜リ延暦十二年(793)坂上田村麿勅命ヲ蒙リ東夷征伐トシテ関東ニ趣キシ時鹽山ニ勧請ストナリ。其ノ后此ノ清水ニ遷ルトナリ。○瀬戸神社
所在 村ノ西ニアリ 坪数百四十坪
祭神 末詳
社格 雑社
創建年月日 末詳
祭日 二月二日
氏子 百五十八戸
現任宮司若クハ祠官ノ名 斎藤周養○菅原社
所在 村ノ西方ニアリ 坪数六十六坪
祭神 菅原道真卿
社格 雑社
創建月日 末詳
祭日 一月廿五日
氏子 百五十八戸
現任宮司若クハ祠官ノ名 齋藤周養○八阪神社
所在 村ノ中央ニアリ 坪数五十二坪
祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
社格 雑社
創建年月 末詳
祭日 七月十六日
氏子 百五十八戸
現任宮司若クハ祠官ノ名 齋藤周養寺院
○威徳山 班渓寺
所在 村ノ中央 坪数千貳百五十四坪
宗派 曹洞宗 寺格 入間郡竜ヶ谷村龍穏寺末派
開基人名 僧 靏峯聚孫
開基年月 寛永年中
現住ノ姓名 守梅克宗
雑
開基の僧靏峯聚孫寛永三年(1626)十二月十六日寂セリト。サレド當寺ハ清水冠者義高ノ母威徳院殿班渓妙虎大姉追福ノタメ草創セリ。コハ舊キ人ナレバ霍峯ハ中興ニテ開山ノ名ハ失セシナルベシ。此ノ寺ニ一個ノ鐘アリ。
伏以(フシテ オモニミルニ)
武州比企郡鎌形村威徳山班渓禅寺者木曽義仲ノ長男清水冠者義高爲阿母威徳院殿班渓妙虎大姉所創建矣然歳霜遥移後請龍穏十六代霍峯聚孫大和尚ニ為鼻祖而洞上添脈連環而建法幢習宗風者歴然大法器末周脩可惜乎卑有簾藤氏天巖自然居士者皈依(きえ)三宝ノ情至焉居士在世ノ月就千當時寄附油田畑兼雖欲鋳梵鐘鳴晨昏天連有数既而逝時自價若干之昆吾以遺言シテ曰ク願逐志憑茲其子信有仁孝速命冶工這筒銅鐘新一時成矣天鐘者三世佛傅法輪初法器刹莫大於鐘降伏魔外剣輪頓空等ノ之妙功用流傅古今付可勝計焉殊居士施燈油地鋳鐘功徳虚空消暝此善根者豈唐●*1矣願以此功徳普及於一功我等与衆生皆共成佛又所庶幾者依件脩書此回向力
銘日
葦原国●*2 武蔵州傍 比企故郡
鎌形木郷 禅民行道 祖上禅房
威徳山高 班渓水長 冥鶴留影
澤龍續光 法幢靈地 宗風妙彰
今歳新鋳 金童掛廊 朝撃暮撃
円音無量 堅響三世 横聞十方
冀鐘梵殺 ●*3齊金鋼 自他人畜
彼是存亡 出生威宅 到湿槃場
朝野安穏 相屋盈康 簾藤枝葉
栄盛久昌 四海清平 寺担繁昌
簾藤氏子孫萬々歳
前永平後住班渓沢翁叟思謹詣
功徳主 當村 簾藤佐五左衛門
法名 天巖自性居士
于時享保四巳亥年(1719)二月十五日井上治兵衛重治
野州安阿蘓郡佐野天明住 冶工 井上太郎左ヱ門重延*1:●は、指のヒがム
*2:●は、示へんに里。
*3:●は、培の土が木。○経王山宗信寺
所在 村ノ西ノ方 坪数四百廿六坪
宗派 日蓮宗下総国眞間弘法寺ノ末派
開基年月 慶安年中
開基人名 日法
現住ノ姓名 無住道路
○松山道
等級 里道
長 南ハ玉川郷界ヨリ東ノ方大蔵村界ニ至ル村内長延拾四町拾五間
幅 貳間ト両端ニ濕抜堀付属ス
形状 平垣直道中央ニ木曽殿橋アリ
雑項 西平ヨリ松山町ニ通スル里道ニシテ従来道橋等ノ修繕ハ本村ノ負擔
○熊谷道
等級 里道
長 南方田黒村境ヨリ北方千手堂村境ニ至ル長サ十五丁十八間
幅 貳間ト両端ニ濕抜堀アリ
形状 字辻ヶ谷戸ヨリ東ヘ折レ北ニ向ッテ直道ナリ
雑項 入間郡越生驛ヨリ熊谷驛ニ通ズル里道ニシテ従来道橋等ノ修繕ハ民費ニ属ス地所 明治九年(1876)十二月調査ノ分
官有地
村社 段別 六反九畝拾六歩
社地 段別 八畝拾八歩
用材林反別 壱町壱反六畝廿六歩
薪炭材 段別 壱反四畝拾七歩
芝地 段別 拾壱町五畝廿五歩
秣場 段別 貳拾八町六反八畝四歩
川 段別 貳拾七町壱反五畝歩
溜池 段別 三反二畝拾七歩
溝渠 段別 三町六反三畝十三歩
道路 段別 拾町五反九畝拾四歩
寺院境内 段別 五反六畝歩
合計段別 八拾五町七反五畝歩
民有地
田 段別 四拾町貳反廿五歩
畑 段別 九拾八町四反九畝廿歩
郡村宅地 段別 拾八町五反六畝十八歩
鍬下地 段別 壱町七反九畝三歩
荒地 段別 三反一畝十三歩
林 段別 九拾五町四反五畝貳歩
秣場 段別 貳拾八町貳反七畝五歩
籔地 段別 五反壱畝十五歩
萱生地 段別 七反三畝十歩
芝地 段別 七段九畝三歩
石置地 段別 貳段貳畝六歩
畦畔籔 段別 四町六畝廿歩
墓地 段別 壱町貳反貳畝五歩
斃馬捨場 段別 壱反六畝十八歩
溜池 段別 拾貳歩
合計反別 貳百九拾壱町一反一畝二十二歩
總計反別 三百七拾六町八段七畝拾貳歩山嶽
塩山
所在 村ノ西部
形状 孤山ニシテ嶺上ヨリ西ハ田黒村ニ属シ北ニ槻川ヲ帯ヒ東南ハ本村ニ属シ樹木生セズ
高 五十丈
登路 登路ニ条。一ハ本村字塩沢ヨリ登ル高三丁険ニシテ近シ。一ハ小久保ヨリ上ル高六丁易シテ遠シ。
樹木 岩石多ク樹木生セズ
景致 全山岩石夛ク西ハ秩父連山ヲ遠景シ北ニ槻川ノ険流ヲ梺ニ望ミ東南ハ本村ノ人家及耕地ヲ一見シ都幾川ノ清流ヲ遠望ス大平山
所在 村ノ西北部
形状 北東ハ千手堂村ニ属シ山脈北方ニ延長シ同山雷電山ニ連ル。岩石夛ク樹木生セス。
高 八十五丈
登路 二条アリ。一ハ本村ヨリ槻川ヲ渡リ字細原口ヨリ登ル七町ニシテ険。一ハ千手堂上ノ山ヲ経テ上ル。十二町ニシテ易シ。
樹木 樹木ナシ。柴草生ズ
景致 西南東ノ三方ハ槻川ヲ沿ヒ北方ハ山脈雷電山ニ連ル。但シ西方秩父郡山ヲ眺望シ、東ハ都幾川、槻川、両川ノ流ヲ望シ風景宜シ。林藪(りんそう)
民有地 字兼ヶ谷戸 段別 壱町壱反五畝五歩 主用 薪炭材
民有地 字南門 段別 八反六畝十二歩 主用 薪炭材
民有地 字北原 段別 七反壱畝十五歩 主用 薪炭材
民有地 字南原 段別 参町貳畝五歩 主用 薪炭材
民有地 字油免 段別 三町二反四畝廿二歩 主用 薪炭材
民有地 字下宿 段別 二町壱反二畝貳歩 主用 用材
民有地 字下宿 段別 五町五反五畝廿六歩 主用 薪炭材
民有地 字北宿 段別 貳町四反九畝十五歩 主用 薪炭材
民有地 字北宿 段別 六町九歩 主用 用材
民有地 字上宿 段別 壱町五反二畝十五歩 主用 用材
民有地 字上宿 段別 四町四反九畝四歩 主用 薪炭材
民有地 字上ノ臺 段別 五反六畝四歩 主用 用材
民有地 字上ノ臺 段別 五町壱反六畝九歩 主用 薪炭材
民有地 字粟久保 段別 八町四畝拾貳歩 主用 薪炭材
民有地 字中大ヶ谷 段別 四町三段九畝三歩 主用 薪炭材
民有地 字上大ヶ谷 段別 二町八段八畝廿一歩 主用 薪炭材
民有地 字亀ノ原 段別 壱町壱段八畝十一歩 主用 用材
民有地 字亀ノ原 段別 七町七反八畝十九歩 主用 薪炭材
民有地 字南中島 段別 貳町貳反八畝五歩 主用 薪炭材
民有地 字北中島 段別 壱町壱反五畝八歩 主用 薪炭材
民有地 字辻ヶ谷戸 段別 五畝七歩 主用 用材
民有地 字殿ヶ谷戸 段別 四段四畝二十二歩 主用 薪炭材
民有地 字清水 段別 貳拾八歩 主用 薪炭材
民有地 字馬場 段別 二反二十九歩 主用 用材
民有地 字前谷 段別 二町九反八畝十八歩 主用 用材
民有地 字前谷 段別 三町六反四畝廿四歩 主用 薪炭材
民有地 字東上原 段別 二町五反八畝十五歩 主用 用材
民有地 字東上原 段別 壱町二反壱畝壱歩 主用 薪炭材
民有地 字千騎澤 段別 三町九反五畝四歩 主用 薪炭材
民有地 字西上原 段別 八段壱畝五歩 主用 薪炭材
民有地 字後谷 段別 四段五畝廿六歩 主用 用材
民有地 字後谷 段別 貳町六反七畝七歩 主用 薪炭材
民有地 字塩山 段別 壱町六反壱畝十九歩 主用 用材
民有地 字塩山 段別 参町参反五畝三歩 主用 薪炭材
民有地 字女久保 段別 壱町七段八畝十九歩 主用 薪炭材
民有地 字女久保 段別 壱町壱反九畝十一歩 主用 用材
民有地 字細原 段別 壱町九段七畝十七歩 主用 薪炭材
民有地 字塩沢 段別 壱町七反貳畝十一歩 主用 用材
民有地 字塩沢 段別 三町六反八畝七歩 主用 薪炭材
民有地 字西落合 段別 六段四畝参歩 主用 用材
民有地 字西落合 段別 壱町四畝九歩 主用 薪炭材
民有地 字東落合 段別 六段貳拾歩 主用 薪炭材
合計反別 九拾五町九段六畝拾七歩原野
大ヶ谷原(おおがやはら)
所在 村ノ南部ニアリ
所属 本村ト玉川郷入会ニシテ民有ニ属ス
段別 貳拾貳町六反壱畝貳拾壱歩
形状 全景平坦ニシテ小シク高燥ノ地アリ。八方傾斜シテ数条ノ小谷アリ。
生産 萱草生茂ス。村民ノ秣場ナリ。高城ノ原
所在 村ノ南部ニアリ
所属 本村ト玉川郷入會ニシテ民有ニ属ス
段別 五町六反五畝十四歩
形状 全景平坦
生産 萱草生茂村民ノ秣場ナリ河渠
都幾川
発源 秩父郡大野村ヨリ発ス
流状 東北ヘ曲流シテ水勢急流ナリ
所属ノ長 千百十五間 最廣五十五間 最狭 十二間
深 最深八尺 最浅二尺 清流
潅漑 本村田方七分通用水ノ便ニ供フ
運輸 筏ヲ通便セシム
物産 鮎魚生ス
雑項 水源秩父郡大野村字鳶巣●*1脊両山ヨリ発シ沿村々小流ヲ合シ東北流シテ本村ニ至リ大河トナリ南方玉川郷ノ界ヨリ北ニ向ヒ東ヘ折レ又北ニ向ヒ急流シテ本村野銭場ニテ槻川ト會流ス。水源ヨリ本村ニ至ル水路凡五里。*1:●は、けものへんに勺。
槻川
発源 西方秩父郡笠山ノ梺ヨリ発ス
流状 東北ヘ曲流シテ水勢急流ナリ
所属ノ長 千五百四間 最廣四十間 最狭十三間
深 最深九尺 最浅二尺
潅漑 岸高クシテ用水便ナシ
運輸 筏ニ通便セシム
物産 鮎魚生ズ
雑項 西方秩父郡笠山ノ梺ヨリ発シ北流シテ坂本村ニ至リ大内沢村ヨリ出ル小泉ト合シテ南流シテ比企郡腰越村ニ至ッテ東ニ折レ小川村ニテ竹澤川ト合流シテ下里、遠山ノ二村ヲ経テ字細原山ノ西隅ヨリ千手堂村ト劃シテ本村字野銭場ニテ都幾川ト会流ス橋梁
木曽殿橋
所在 里道松山道字南中島、亀ノ原ヨリ発水ナス軽井沢堀ニ架設ス
長 五間
幅 貳間
構造 土橋
架設年月 明治十六年(1883)四月堤塘
石代堤
長 村ノ北方字石代ヨリ東方大蔵村境ニ至ル六百三十七間
高 八尺ヨリ一丈ニ至ル
幅 馬踏六尺 堤敷三間
雑項 都幾、槻ノ二川相混シ殊ニ急流ノタメ洪水ノ節ハ折々小破壊アリ。時トシテハ大破損アリ。耕地一面冠水シ田畝三分ノ一ハ砂入等アリ。修繕費ハ官民二途ニ属ス。名勝
蚕影山(こかげさん)
所在 村ノ西ノ隅ニ位ス
景致 巨巌重疊シテ高サ十余丈。岩間ニ老タル苔松ハ槻川之河面ニ伏シ絶頂ニ蚕守護ノ蚕影山神社ノ宮殿アリ。山嶺ハ一面ノ松林ニシテ南ハ本村塩山ノ高山及道見山【?】ヲ近ク望ミ北ニ槻川ヲ隔テテ大平山ノ岩山ヲ近見シテ西ニ細原アリ。面前ニ槻川ヲ帯ビタリ。川中巨大ノ石間ヲ漲流セル水泡ハ恰モ白布ヲ瀑スガ如シ。之ニ浮遊ル鮎魚ハ概シテ一尺有余ニシテ数十匹並列シテ渕深タル川中ヲ争ヒ躍回スル鮎魚ハ左ナガラ鯉魚ノ如シ。部中【郡中?】第一ノ名勝タルヲ踏メリ。租税
国税
地税金 千九拾四円九拾四銭三厘
酒造税金 七百八拾四円四銭四厘
車税金 拾貳五十銭
牛馬売買免許税金 貳円
賣薬税金 貳円
合計金 千八百九拾壹円四拾八銭七厘地方税
地租割金 百九拾五円廿九銭八厘
戸数割金 九拾貳円七拾五銭八厘
営業税金 三拾六円六拾銭
雑種税金 三拾貳円五拾銭
合計金 三百五拾七円拾五銭六厘○舊租
田高 米 九拾壱石八斗八升五合 石盛 十三、十一、九、免
畑高 永 五拾四貫貳百五拾三文二厘九毛 石盛 十一、九、六、免
屋敷高 永 壱貫五百三十八文三分七厘壱毛 石盛 十一、免
合計地租 米 九拾壱石八斗八升五合
永 五拾五貫七百八十一文四分○舊雑税
野手米 壹石壹斗六合
柴草冥加 永貳百五拾文
綿売出シ 永八百七文
荏(えごま)代 永 貳百四拾八文
合計 米 壹石壹斗六石
永 壱貫三百五匁舊検地帳表書合計
表書 寛文八歳戊申(1668)八月十七日
武州比企郡玉川領鎌形村御検地水帳
拾冊ノ内 案内 弥右衛門 太郎兵衛 三郎左衛門 縫殿助
合 上田 壱町五反九畝廿三歩
中田 五町九反六歩
下田 六町六反貳畝八歩
下下田 三町六反六畝貳歩
上畑 貳町壱反三畝四歩
中畑 拾貳町貳畝拾九歩
下畑 四拾壱町六反四畝六歩
下々畑 三拾五町九反五畝拾八歩
切畑 貳町八反七畝歩
屋敷 壱町壹反五畝壹歩舊検地帳表書合計
表書 元文五年申(1740)十一月
武蔵国比企郡玉川郷鎌形村入會秣場検地帳
御代官 柴村藤右エ門
手代 八木仙右エ門 木村●*1助
合 秣場 貳拾貳町壹反壹畝拾貳歩*1:●は、にんべんに浅の右側。
舊検地帳所載ノ字
寛文八年戊申八月十七日拾冊ノ内 検地役人 曽根五郎左エ門外三人
辻ヶ谷戸 馬場(バンバ) 上原 田向 塩澤 女久保(オナクボ) 西裏 小畔 川端 小峰 殿ヶ谷戸 宮ノ下 千驥沢(センガサワ) 宿(シュク) 落合 供養塚 シヤラク屋敷 南門(ミナミカド) 山ノ神 原 兼ヶ谷戸(カネガヤト) アナタ 川間 石代(コクダイ) 上大ヶ谷(オオガイ)、丸山 夜打久保 下大ヶ谷 粟久保(アクボ) 植木山臺 油免臺(アブラメンダイ) 植木山下 柳沢 木ノ宮 関上(セキウエ) 大倉原 中島 玉川界 岩清水物産
米 生産高 四百七拾四石五斗
糯米 生産高 三拾八石四斗
大麦 生産高 五百八石三斗五升
小麦 生産高 四百五拾八石三斗五升
粟 生産高 三拾六石
大豆 生産高 百八十九石
蕎麦 生産高 二十六石
甘薯 生産高 千七百五十貫匁
実綿 生産高 五百二十六貫匁
まゆ 生産高 六十三石
楮皮 生産高 四百メ匁
清酒 生産高 三百七石六升三合
焼酒 生産高 壹石貳斗貳升七合民業
農業 四百十一戸
菅谷村の沿革
農商兼業 二十四戸
工業 専業者 ナシ
医業 一戸
農工兼業 十七戸
雑項 農事ヲ主トスト雖モ農間工業ナスモノ十余人。婦女子ハ農間生綿機ヲ紡織スルモノ夛シ