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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第5節:菅谷村の沿革

武蔵国比企郡菅谷村

沿革

1.名称 往昔(おうせき)ハ須加谷ト書シ寛文年中(1661-1673)今ノ字ニ改ムト。
1.所属 本村ハ郷(ごう)、庄、領ノ唱ヲ傳ヘス。
明治五年(1872)二月大小區名ヲ置キ六大區四小區ト号ス。
今十二年(1879)四月比企横見郡役所ヲ置キ仝十七年(1884)七月本村外八ケ村ヲ以テ菅谷村聯合戸長役場ヲ置ク。
1.分合 寛文年中(1661-1673)分レテ二村トス則チ今ノ志賀村ナリ。
1.管轄 治承(じしょう)ノ頃(1177-118)畠山重忠ノ領地タリ、元久(げんきゅう)二年(1205)重忠滅ビテ岩松遠江守(いわまつとうとうみのかみ)畠山ノ名跡ヲ続テ子孫繼領ス。其後年々暦(ねんねんれき)未詳北条ノ領地トナリ正慶(しょうけい)二年(1333)北条滅ヒテ足利氏封提(ほうてい)トナル。降テ天正十八年(1590)庚寅(かのえとら)徳川関東総領(そうりょう)麾下(きか)岡部太郎作ノ采地*1タリ。子徳五郎ノ知ル処トナリ明和九壬辰(みずのえたつ)年(1772)徳川氏ニ復シ代官飯塚伊兵衛支配セリ。安永九庚子(かのえね)年(1780)猪子左太夫ノ知行所ニ轉シ代々是ヲ知ル。維新ノ際明治元戊辰(つちのえたつ)年(1868)八月知縣事古賀一平ノ支配所トナル。仝二年(1869)韮山縣(にらやまけん)ニ移リ仝四辛未(かのとひつじ)年(1871)十一月入間縣ノ所轄トナル。仝六癸酉(みずのととり)年六月熊谷縣ノ管轄トナリ仝九年(1876)九月埼玉縣ノ管轄ニ轉シ仝十二年(1879)四月比企横見郡役所ノ管轄ニ属シ仝十七年(1884)七月仝郡菅谷村外八ケ村聯合戸長役場。

位置疆域

 位置

1.東 比企郡 月輪村(つきのわむら) 上唐子村(かみがらこむら) 平林(へいりん)
1.西 比企郡 千手堂村(せんじゅどうむら) 平澤村(ひらさわむら) 耕地
1.南 比企郡 鎌形村(かまがたむら) 大蔵村(おおくらむら) 二村ノ都幾川ノ中央
1.北 比企郡 志賀村(しかむら)ノ耕地及坂路

 幅員

1.東西 拾丁廿間
1.南北 拾四丁廿四間
1.周回 壹里拾七丁廿五間
1.面積 三拾九万四千九百〇六坪

 地味

1.色  黒赤混シ
1.質  壚土(ろど=黒土)
1.適種 早小麥ニ宜(よろし)茶ニ適ス

 地勢

1.山脈 平林 松樹鬱生(うっせい)
1.水脈 南方都幾川ヲ沿ヒ東流シテ上唐子村境ニ至ル、出水ヲ俟(ま)ッテ筏(いかだ)通便ス
1.東部 耕地
1.西部 平林及ヒ耕地
1.南部 平林及ヒ耕地
1.北部 平林
1.全地形勢 東ハ畑耕地、南ハ平林ヲ過(すぎ)テ畑耕地及ヒ舊(旧)城趾(じょうし)アリ。西ハ平林ニシテ平澤村耕地ニ接ス。北ハ平林及ヒ畑耕地アリ。村ノ北隅ヨリ東ヘ長ク縣道アリ。其両端ニ人家並住ス。小市ノ姿ヲナセリ。旅客舎等アリ。村ノ西隅ニ小川道アリ。東隅ニ松山及熊谷道アリ

地種

1.官有地
第一段別 八畝拾貳歩 筆数 貳筆
第二段別 壱畝 五歩 筆数 壱筆
第三段別 拾六町四反廿九歩 筆数 五拾七筆
計段別  拾六町五反拾六歩 筆数 六拾筆
1.民有地
第一段別 百拾貳町五反五畝拾九歩 筆数 九百三拾四筆
第二段別 壱町貳反九畝五歩 筆数 廿壱筆
計段別  百拾三町八反四畝廿四歩 筆数 九百五拾五筆
1.総計段別 百三拾町三反五畝拾歩 筆数 壱千〇拾五筆

里程

1.元標(げんぴょう)所在 本村中央字西側
1.本縣庁ヘ 十里三十丁三十七間二尺
1.本郡役所 壱里三十四丁
1.近驛(きんえき)
東 松山町ヘ 壱里三十四丁四十九間一尺
西 小川村ヘ 壱里廿八丁十九間二尺
南 越生村ヘ 三里七丁十四間二尺
北 熊谷驛ヘ 三里三十丁四十二間二尺
1.著名市邑 東京日本橋ヘ十七里三丁

【耕宅地及鹽田】

1.民有荒地 反別 五町六反壱畝四歩

 民有地

1.田畑 【田】段別 四町八反三畝拾壱歩 筆数 九十五筆
      地価 千四百拾貳円拾壱銭八厘
【畑】段別 三拾五町壱畝八歩 筆数 四百八筆
      地価 三千七百五拾貳円廿七銭五厘
1.宅地 段別 三町七畝廿貳歩 筆数 五十一筆
  地価 七百七円六拾貳銭八厘
1.総計 段別 四十二町九反貳畝十一歩 筆数 五百五十四筆
  地価 五千八百七拾貳円貳拾銭壱厘

字地(あざち)

1.上(かみ)
 舊字(旧字=きゅうあざ) 上
 段別 八町四反貳畝拾七歩 筆数 六十筆
1.東側(ひがしがわ)
 舊字 東浦 
 段別 拾五町四反四畝拾五歩 筆数 百壱筆
1.下(しも)
 舊字 下
 段別 七町壱反八畝拾壱歩 筆数 八拾六筆
1.東原(ひがしはら)
 舊字 東原
 段別 七町九反六畝九歩 筆数 五拾八筆
1.清水(しみず)
 舊字 清水
 段別 貳町五反廿三歩 筆数 三十筆
1.久保(くぼ)
 舊字 山続(やまつづき)御陣屋裏(ごじんやうら)
 段別 四町六反八畝歩 筆数 五十一筆
1.西側(にしがわ)
 舊字 西裏(にしうら)
 段別 九町六反壱畝拾八歩 筆数 七拾筆
1.西裏(にしうら)
 舊字 西裏
 段別 四町五畝廿壱歩 筆数 廿八筆
1.女堀(おんなぼり)
 舊字 女堀
 段別 五町三反九畝拾歩 筆数 六十五筆
1.向原(むかいばら)
 舊字 向原
 段別 三町貳反七畝廿四歩 筆数 拾八筆
1.山王回(さんのうめぐり)
 舊字 山王前(さんのうまえ)沼下(ぬました)
 段別 六町五反七畝廿四歩 筆数 五十九筆
1.本宿上(もとじゅくかみ)
 舊字 本宿上
 段別 四町六反三畝四歩 【筆数記載なし】
1.本宿(もとじゅく)
 舊字 本宿
 段別 四町四反三畝四歩 筆数 五十一筆
1.寺山(てらやま)
 舊字 寺山
 段別 四町三畝五歩 筆数 一四筆
1.城(じょう)
 舊字 城ノ内(じょうのうち) 城ノ堀合(じょうのほりあい) 天神廓(てんじんくるわ)
 段別 七町七反九畝廿九歩 筆数 九拾一筆
1.上石堂(かみいしどう)
 舊字 中石堂(なかいしどう)
 段別 三町壱反拾六歩 筆数 三十九筆
1.下石堂(しもいしどう)
 舊字 下石堂
 段別 三町八反拾五歩 筆数 六十二筆
1.坂下(さかした)
 舊字 坂下渕ノ端(ふちのはし)
 段別 四町四反廿貳歩 筆数 六十九筆

戸数

1.平民 本籍 四拾六戸
     内現住者 四拾戸
      出寄留 管《外 内》 6人?
      入寄留 管《外貳人 内五人》
     小計 五拾三戸
1.合計 本籍 四拾六戸
      内現住 四拾六戸
       出寄留 管《外 内》
      入寄留 管《外貳戸 内五戸》
   総計 五拾三戸

平民

1.本籍 戸主 《男四拾五人 女壱人》 計四拾六人
     家族 《男七拾九人 女百三拾人》 計貳百九人
    合計 貳百五拾五人
   内現住 貳百五拾五人
1.入寄留管外 《戸主男二人 戸主女  》 計二人
        家族 《男二人 女四人》 計六人
        合八人
     管内 《戸主男五人 戸主女二人》 計七人
        家族 《男五人 女六人》 計拾壱人
        合拾八人
     繳合(きょうごう) 貳拾六人
  以上差引

総計

1.本籍 戸主 《男四拾五人 女壱人》 計四拾六人
     家族 《男七拾九人 女百三拾人》 計貳百九人
     合 貳百五拾五人
     内現住 貳百五拾五人 出寄留 《管外 管内》 合
1.入寄留 管外 戸主 《男二人 女》 計貳人
         家族 《男二人 女四人》 計六人
         合八人
      管内 戸主 《男五人 女二人》 計七人
         家族 《男五人 女六人》計拾壱人
         合拾八人
      繳合(きょうごう) 貳拾六人
1.合計 《男百三拾八人 女百四拾三人》 計貳百八拾壱人
  以上差引

本籍年齢

1.五年未満 《男拾七人 女拾三人》 合三拾人
1.五年以上 《男廿人 女廿貳人》 合四拾貳人
1.十年以上 《男九人 女七人》 合拾六人
1.十五年以上 《男拾人 女五人》 合拾五人
1.廿年以上 《男拾五人 女拾四人》 合廿九人
1.廿五年以上 《男五人 女拾貳人》 合拾七人
1.丗年以上 《男拾人 女拾五人》 合廿五人
1.丗五年以上 《男拾人 女拾四人》 合廿四人
1.四拾年以上 《男貳人 女三人》 合五人
1.四拾五年以上 《男拾貳人 女八人》 合廿人
1.五拾年以上 《男壱人 女》 合壱人
1.五拾五年以上 《男三人 女七人》 合拾人
1.六拾年以上 《男二人 女七人》 合九人
1.六拾五年以上 《男四人 女五人》 合九人
1.七拾年以上 《男 女壱人》 合壱人
1.七拾五年以上 《男 女》 合
1.八拾年以上 《男壱人 女壱人》 合貳人
総計 《男百廿四人 女百丗一人》 合計百五拾五人

生死及就籍(しゅうせき)除籍

1.出生 《男貳人 女六人》 合八人
1.就籍 《男貳人 女三人》 合五人
1.計 《男四人 女九人》 合拾三人
1.死亡 《男貳人 女三人》 合五人
1.除籍 《男一人 女一人》 合二人
1.計 《男三人 女四人》 合七人

牛馬

1.馬 内種 《牡(おす)十八頭 牝(めす)》 小計 十八頭
1.小計 十八頭 合計 十八頭
1.総計 拾八頭

1.荷車 大七(だいしち)以上 0、 大六(だいろく)以上 三輌、合計 三輌
1.人力車 一人乗 五輌、二人乗 0、合計 五輌
1.総計 八輌

戸長役場(こちょうやくば)

 本村外八ヶ村聯合戸長役場
1.所在地 比企郡菅谷村中央字西側
1.所轄町村 菅谷村 志賀村 平澤村 遠山村 千手堂 鎌形村 大蔵村 根岸村 将軍澤村

神社

 ○日枝神社(ひえじんじゃ)

1.所在 村ノ南方字山王回 坪数 貳百廿貳坪
1.祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)
1.社格 村社(そんしゃ)
1.創建年月日 末詳
1.祭日 九月十九日
1.氏子 四十六戸
1.《現任宮司若クハ 祠官ノ名》 小川喜六

 ○稲荷神社

1.所在 村ノ南方 坪數 百三十七坪
1.祭神 保食命
1.社格 雑社
1.創建年月日 末詳
1.祭日 二月初午日
1.氏子 四十六戸
1.《現任宮司若クハ 祠官ノ名》 小川喜六

寺院

 ○長慶山 東昌寺 《寺院 坊庵》

1.所在 村ノ西隅(せいぐう) 坪數 三百十貳坪
1.宗派 曹洞宗 寺格 同郡遠山村遠山寺末流(まつりゅう)
1.開基人名 僧能国南藝
   現住ノ姓名 白法龍禪
1.雑 往昔(おうせき)ハ長慶寺ト云シヨシ。村ノ東方多田堂トモ千日堂トモ云ル堂地ニアッテ年久シク無住ナリシヲ本寺九世ノ僧村民関根孫右衛門ト謀リテ今ノ地ニ移シ旧寺名ヲ採リ山号トシ則チ長慶山ト云ヘリ。其後火災ニ罹(かか)リ蕩燼(とうじん)シテ当寺二世ノ僧伊芳ノ代僅ニ本堂ナリシカ三世ノ僧高善ト云フモノ志賀村吉田孫三郎ト謀(はか)リ正徳辛卯年(1711)今ノ本堂ヲ再建ストナリ。

 ○夛(多)田山千日堂 《寺院 坊庵》

1.所在 村ノ東隅ニアリ 坪数 百八坪
1.宗派 寺格
1.開基人名 仝郡志賀村夛田平馬
1.開基年月日 正徳四甲午年(1714)三月
1.雑 昔長慶寺ノ廃寺跡時ノ領主岡部元親ノ用地タリ。宝永二乙酉年(1705)家臣夛田平馬ニ賜リ因テ同人施主トナリ堂宇ヲ建テ千手觀音ヲ安置ス。其后及大破シヲ第三子一角ナル者村民ト謀リテ宝暦七巳年(1757)今ノ本堂再建セシトナリ。

道路

 ○東京街道

1.等級 縣道
1.長 北ノ方同郡志賀村界ヨリ東ノ方上唐子界ニ至リ九丁三間
1.幅 貳間半
1.形状 平坦内北ノ方志賀界ヨリ廿四間貳尺吹上坂ノ坂路アリ。
1.雑項 群馬縣ヨリ山梨縣ヘ通スル一等縣道ニシテ従来村民ニ於テ春秋両度修繕ヲ加フルト雖(いえ)トモ若大破ノ節ハ地方税何分ノ補助ヲ仰キ修復ヲナス。

 ○秩父往還小川道

1.等級 縣道
1.長 村ノ西ノ方字上ヨリ左ニ折レ平沢界ニ至ル貳丁八間五寸
1.幅 貳間半
1.形状 平坦
1.雑項 本村西ノ方字上ヨリ西南ニ折レ一等縣道ノ支道ニシテ平澤村ニ接続ス。最モ秩父郡中ヘノ一等路ニシテ平素車馬ノ往復繁通ス。秩父郡大宮郷ヘ達スル三等県道ニ位ス。
地所 明治九年九月調査ノ分

官有地

1.村社段別  七畝拾貳歩
1.社地段別  壱畝歩
1.官用地段別 壱畝五歩
1.用材林段別 三反六畝拾六歩
1.芝地段別  五反三畝拾六歩
1.草生(くさふ=草地)段別 三町六反壱畝廿壱歩
1.河原地段別 貳町三反五畝拾壱歩
1.河段別   三町九反八畝五歩
1.溜池段別  七反六畝拾四歩
1.用悪水路段別 九反三畝六歩
1.道路段別  三町八反五畝廿六歩
1.合計段別  拾六町五畝拾六歩

民有地

1.田段別  四町八反三畝拾壱歩
1.畑段別  三拾五町壱畝八歩
1.郡村宅地段別 三町七畝廿貳歩
1.林段別  六拾三町八反五畝拾六歩
1.荒地段別 五町六反壱畝四歩
1.荒地段別 壱反六畝拾八歩
1.畦畔數段別 八反三畝壱歩
1.墓地段別 四反三畝九歩
1.斃馬捨場(へいばすてば)段別 貳畝廿五歩
1.合計段別 百三拾町三反五畝拾歩
1.総計段別 百四十六町八反五畝廿六歩

林藪(りんそう)

1.所有 民有地 字上 段別 貳町八反五畝貳歩 主用 用材(ようざい)
1.所有 民有地 字上 段別 三町八反八畝十一歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字下 段別 四反貳畝十九歩 主用 用材
1.所有 民有地 字下 段別 貳町九反九畝拾九歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字清水 段別 五反貳畝廿九歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字西側 段別 壱町六反五畝廿歩 主用 用材
1.所有 民有地 字西側 段別 四町五反八畝十七歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字女堀 段別 貳町壱反八畝十四歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字山王回 段別 貳反五畝十六歩 主用 用材
1.所有 民有地 字山王回 段別 四町三畝廿三歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字本宿 段別 壱反七畝十七歩 主用 用材
1.所有 民有地 字本宿 段別 貳反四畝廿七歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字城 段別 壱町五畝壱歩 主用 用材
1.所有 民有地 字城 段別 三町壱畝廿二歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字下石堂 段別 貳反貳畝廿五歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字東側 段別 六反九畝十二歩 主用 用材
1.所有 民有地 字東側 段別 拾町壱畝六歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字東原 段別 五町三反八畝十九歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字久保 段別 貳町九反六畝十五歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字西裏 段別 六反五畝七歩 主用 用材
1.所有 民有地 字西裏 段別 貳町五反九畝 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字向原 段別 三町壱反三畝十三歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字本宿上 段別 貳反六畝四歩 主用 用材
1.所有 民有地 字本宿上 段別 三町三反三畝九歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字寺山 段別 四町三畝五歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字上石堂 段別 壱町四反九畝十八歩 主用 薪炭材
1.所有 民有地 字坂下 段別 壱町壱反壱畝十二歩 主用 薪炭材
1.合計段別 六拾三町八反五畝十六歩

原野

 境原

1.所在 村ノ北部ニアリ
1.所属 北ハ同郡志賀村ニ接シ東南西ノ三方ハ本村民林ニ接シ官有ニ属ス
1.段別 三反三畝廿九歩
1.形状 全地平坦
1.生産 芝草鬱生ス

河渠(かきょ)

 ○都幾川

1.発源 秩父郡大野村ヨリ発ス
1.流状 東北ヘ曲流シテ水勢緩流ナリ
1.所属ノ長 七百廿貳間貳尺
1.広 最広 百間 最狭 五拾間
1.深 最深 壱文 最浅 壱尺
1.水質 澄清
1.潅漑 沿岸高ク用水ノ便ナシ
1.運輸 筏便通ス
1.物産 鮎魚生ス
1.雑項 水源秩父郡大野村地内字鳶巣山(とびのすやま)ヨリ発水シ小流ヲ合シテ東北ニ流レ南方鎌形村境ニ於テ槻川ト会シテ本村ニ入リ。大河トナリテ東南ニ向イ下流上唐子地内ニ入ル。

橋梁

 ○蛇坂橋

1.所在 村ノ南方里道字下石堂都幾川ノ支流架設ス。
1.長 貳間半
1.幅 七尺
1.構造 木製
1.架設年月日 明治十七年(1884)八月
1.雑項 本村字下ヨリ南ニ分レ八王子往還ノ里道ニシテ大蔵村堺ニ至リ都幾川分流ノ細川ニ架設セシ小橋ナリ。

湖沼

1.所在 村ノ西方ニアリ
1.経縦 東西五十八間
1. 横 南北三十八間三尺
1.面積 千六百九十坪

古跡

 ○菅谷古城

1.所在 本村南ノ方字城
1.現状 東西三丁五十五間南北三丁廿貳間五稜(いつつびし)形ニシテ南ノ一方ハ都幾川ヲ沿ヒ、水面ヨリ本丸ノ高サ直立十余丈ニテ嶮(けん)ナリ東西北ノ三方ハ畑或ハ林ナリ。外曲輪(そとぐるわ)ノ堀敷皆田畑トナリ一般民有地ニ属ス。唯堤壁而己(のみ)官有地ニ付ス
1.雑項 長享戊申年(1488)八月十七日須加谷之地平沢山ノ間ニ太田源六資康(おおたげんろくすけやす)ノ軍営ト。此ノ辺ニ平沢村アレハ須加谷ハココノコトナルベケレバ此項ハ太田氏陣営ナリシコト知ラル。又東路土産ニ鉢形ヲ立テ須加谷ト云フ所ニ小泉掃部助(こいずみかもんのすけ)ノ宿所ニ逗留云々トアリ。今モ当所ヨリ上州ニ至ルニ小川鉢形ト人馬ヲ次テ順路ナレハ此ノ書ニ載スル小泉ガ当所ノコトナルヘシ。又ココヲ畠山重忠居城ノ地トモイヘ、後岩松遠江守義純旦【一旦】畠山ノ名跡ヲ続テ爰(ここに)住セシナドイヘリ。サレド重忠晩年当所ニ移シコトシラルト見ヘタリ。又畠山家系ニ四【?】人皇五拾代桓武天皇第三ノ皇子葛原親王(かずらわらしんのう)ノ御子高見王(たかみおう)ノ一男平高望(たいらのたかもち)《寛平(かんぺい)元(889)初賜平姓》十二代畠山重忠【?】
里語ニ伝フ重忠ハ秩父太郎太夫重能(しげよし)ノ子ニシテ男衾畠山村ニ住。父重能畠山庄司トナッテ該地ヲ管理ス。昔時治承ノ始メ源頼朝兵ヲ起セシ項(1180)重能ハ平知章(たいらのともあきら)ニ属シ弟有重(ありしげ)ト共ニ六波羅ニ至リ、重忠ハ其地ニアリテ年十七才。治承四年(1180)十月武蔵国長井渡リニオイテ頼朝ノ御陣ニ參ル。其時既ニ三浦ノ讐家(しゅうか)ナレハ如何アラト議セラルヽニ三浦ノ一族議ヲ重ンジテ私ノ恨(うらみ)ヲ述ヘス。ココニ於テ御許容(きょよう)アリ。光鉾(こうぼう)ノ将タリシヨリ大小ノ軍功アリテ此ノ地ヲ賜リ新城築キシト云。夫ヨリ四十二才ニ至迠實ニ鎌倉随一ノ功臣タリシヲ北条父子ノ侫謀ニ罹(かか)リ元久(げんきゅう)二年(1205)六月二十二日武蔵二俣川(ふたまたがわ)ニヲイテ中【?】愛甲三郎ノ矢ニ天羊【?】ヲ終ルト云フ。
又重忠實ハ薩摩(さつま)江落ルトモ云。寡婦(かふ)足利義兼(あしかがよしかね)ニ嫁シ義純(よしずみ)ヲ生ミ義純畠山ノ名跡ヲ続キテ爰(ここ)ニ住ス。是ヨリ源氏畠山ト称ス。其後義純子孫相続ストイヘトモ不詳(ふしょう)。

地税

1.国税
地税金 百七拾八円廿銭
證券印紙緒税{合}金 六円七拾五銭
郵便料金 九円八拾七銭
車税金 六円五拾銭
合計金 貳百壱円三拾貳銭
【 1.】地方税
地租割金 三拾円九拾銭貳厘
戸数割金 三拾四円七銭四厘
営業税金 三拾貳円四拾四銭
雑種税金 廿五円七拾貳銭五厘
合計金 百廿三円拾四銭壱厘
【 1.】舊(旧)租
 田高米 四石三升九合五勺壱才 石盛八六四
 畑高  永 拾七貫貳百八拾八文八分二毛 石盛六四三
 屋敷高 永 三拾八文八分六厘六
合計地租 《米四石三升九合五夕壱才 永拾七メ三百貳拾七文八厘》
1.舊雑税
   夫銀  永九百文
   縄莚料 四拾七文五分厘
  合計 永 九百四拾七文五分七厘

舊検地帳表書合計

1.表書 寛文五年(1665) 菅谷村
  田畑屋敷裏山新山御検地野帳
  巳ノ五月日 三冊ノ内 名主 五郎左衛門
1.合計
 上田 壱反五畝廿五歩
 中田 四反七畝拾壱歩
 下田 貳町九反八畝廿壱歩
 上畑 貳町六反九畝壱歩
 中畑 七町三反八畝貳歩
 下畑 四町六反貳畝廿八歩
 下々畑 三拾九町七畝廿壱歩
 屋敷 壱町五反八畝三歩
 裏山 拾四町壱反六畝拾八歩
 新山 三反拾五歩
1.備考 御検地長表書ニハ寛文五年(1665)トアルモ先年ノ古水帳(みずちょう)損シ見エ兼ルニ付更ニ延宝七年(1679)来九月改書替ルト帳主【?】ニ載セアリ事由(じゆう)ハ詳(つまびらか)ナラス

舊検地長所載ノ字

寛文五年(1665)巳(み)ノ五月日三冊ノ内 検地役人 山本喜兵衛外二人
東浦(ひがしうら) 城ノ堀合(じょうのほりあい) 渕ノ端(ふちのはし) 下石堂(しもいしどう) 坂下(さかした) 坂上(さかうえ) 東原(ひがしはら) 下(しも) 寺山(てらやま) 本宿(もとじゅく) 清水(しみず) 沼下(ぬました) 本宿上(もとじゅくかみ) 山王前(さんのうまえ) 女堀(おんなぼり) 山続(やまつづき) 上(かみ) 向原(むかいはら) 中石堂(なかいしどう) 城ノ下(じょうのした?) 城ノ内(じょうのうち) 天神廓(てんじんくるわ) 西裏(にしうら) 東裏(ひがしうら) 御陣屋ノ裏(ごじんやのうら) 吹上ノ坂上(ふきあげのさかうえ)
以上二十六字

物産

 米 生産高 三十四石四斗四升 輸出地方比企郡小川村
 糯米 生産高 五石貳斗五升
 大麦 生産高 八十五石壱斗六升
 小麦 生産高 八十八石
 粟 生産高 六石
 大豆 生産高 三十五石五斗
 蕎麥 生産高 八石
 甘藷 生産高 八百貫目
 實綿(みわた) 生産高 九十六貫六百目
 繭 生産高 十三石五斗
 製茶 生産高 二十貫目
 楮皮(ちょひ) 生産高 五十貫目

民業

1.農業   四十六戸
1.農商兼業 十三戸
1.工業   一戸
1.醫業   一戸
1.農工兼業 六戸
1.雑項  農業ト主トスルモノ十中ノ六、七男子農間車曳(くるまひき)馬牽(うまひき)ヲ稼業トス。婦女子ハ紡績(ぼうせき)ヲ業トス。

菅谷村の沿革
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