第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
勝田村
武藏國比企郡勝田村*1地誌
本村古時ヨリ本郡水房庄松山領ニ屬セリ。同郡元菅田(すがた)村ト一村タリ。安永五申(さる)年(1776)代官久保田重左エ門支配ノ内高貳百五十四石七升八合内六十石四斗五升七合分割シテ両村トナリ。
*1:勝田村(かちだむら)…現・埼玉県比企郡嵐山町大字勝田。
疆域
東ハ同郡伊古(いこ)村ト山峯或ハ溪澗ヲ以テ界トシ、西ハ吉田村ト林峯道路ヲ境トシ、南ハ越畑廣野ノ両村ニ跨リ田畑山嶺道路ヲ以テ界トシ、北ハ廣野村飛地ト耕地ヲ接セリ。和泉(いずみ)村ハ字滑川中央ヲ境トセリ。
幅員
東西拾丁南北拾五丁。面積実測ヲ經ス暫ク欠ク。
管轄沿革
建久ノ頃(1190-1199)毛呂太良季綱領地タリシ事武藏風土記ニ見ヘタリ。其後徳川氏ノ領地トナリ水野太良作同苗平左エ門支配ス。慶安年中(1648〜1652)岡部久太郎支配ス。其後モ子孫六代續キテ知行セシカ、安永元辰(たつ)年(1772)二月岡部徳五郎罪アリテ断絶ス。同(1772)二月代官久保田重左衛門支配ス。同六年(1777)代官飯塚伊兵ニ代ル。天明元年(1781)旗下猪子左太夫ニ移ル。子孫五代續キテ猪子兵助代ニ上知セリ。維新之際明治元辰年(1868)品川県管轄トナル。同二巳(み)年(1869)韮山県ニ轉シ、同五申年(1872)入間縣ニ、同六年(1873)熊谷県ノ所轄トナル。
里程(りてい)
熊ヶ谷縣廰(けんちょう)ヨリ南ノ方三里。
四隣 同郡吉田村ヘ貳十丁。和泉(いずみ)村ヘ拾四丁。廣野村ヘ貳十五丁。伊古(いこ)村ヘ三十丁。
近傍(きんぼう)宿駅 同郡松山町ヘ貳里三十丁。大里郡熊ヶ谷駅ヘ三里。小川村ヘ貳里半。榛沢郡寄居宿ヘ四里半。地勢
東西南ハ山巒(さんらん)連亙(れんこう)シ雑樹鬱生(うつせい)ス。北ハ地形平坦ニシテ田野拓ケタリ。
地味(ちみ)
其色赤黒黄相混シ小岩交エ其質悪ク稲麦桑ニ應セリ。殊ニ旱損(かんそん)ノ患多シ。
税地
田 拾五丁二反四畝六歩
畑 貳十四町壱反廿四歩
宅地 六反七畝拾三歩
山林 拾八町八反六畝拾弐歩
総計 五拾八町九反廿五歩飛地
本村ノ東ノ方同郡廣野村ノ飛地字柳町之内田弐反拾九歩。同郡菅田(すがた)村字両家之内畑廿六歩。
字地
高倉 村ノ中央ヨリ西ニ当ル。東西三丁南北三丁四十五間。
貢租(こうそ)
地租(ちそ) 六拾四石六升弐合 金三拾六円六拾五銭壱厘
賦金(ふきん) 國税金六円 県税金三円
総計 六拾四石六升弐合 金四拾五円六拾五銭壱厘戸数
本籍 三拾三戸 平民
社三戸 村社
寺壱戸 真言宗
総計 三拾七戸 明治九年(1876)一月一日調人數
男八十八人 平民
女八十人 平民
総計 百六十八人 明治九年(1876)一月一日調牛馬
牡馬 貳十壱頭
舟車
ナシ
山
ナシ
川
滑川 深キ処六尺浅キ処貳尺。廣キ処五間狭キ処三間。水土色。堤防堰有。普請其他修繕等ハ同郡和泉(いずみ)村ニテ共同ス。此処ヨリ水引上ヶ田三反八畝拾三歩ノ用水ニ供ス。
悪水堀 深キ処壱尺浅キ処五寸。村ノ中央ヨリ始マリ同郡吉田村境ヲ流ル滑川ニ入ル。森林
ナシ
原野
ナシ
牧場
ナシ
礦山
ナシ
湖沼
長沼 東西廿六間南北貳丁貳間周圍五丁拾三間。村ノ南方ニアリ。
洞分沼 東西廿五間南北廿七間周圍貳丁四十八間。村ノ南ノ方ニアリ。
尺尻沼 東西壱丁六間南北十四間周圍貳丁四十貳間。村ノ南ノ方ニアリ。
以上三ヶ所ニテ田九町三反廿弐歩ノ用水ニ供ス。
蓮沼 東西廿八間南北廿三間周圍壱丁三十四間。村ノ南ノ方ニアリ。田五反壱畝廿四歩ノ用水ニ供ス。
油面沼 東西拾五間南北拾四間周圍壱丁弐間。村ノ南ノ方ニアリ。田三反九畝歩ノ用水ニ供ス。
池ノ頭沼 東西八間南北三十五間周圍壱町廿弐間。村ノ西ノ方ニアリ。田五反七畝拾九歩ノ用水ニ供ス。
芳沼 東西拾五間南北四十七間周圍貳丁三十間。村ノ西ノ方ニアリ。田貳町七反七畝拾壱歩ノ用水ニ供ス。
谷ノ沼 東西拾弐間南北廿三間周圍壱丁三間。村ノ西ノ方ニアリ。田六反貳畝拾九歩ノ用水ニ供ス。
寺沼 東西七間半南北七間半周圍貳拾七間。村ノ西ノ方ニアリ。田壱反拾三歩ノ用水ニ供ス。道路
小川路 村ノ北方同郡和泉(いずみ)村中央ヨリ入リ南ノ方廣野村界ニ至ル。長サ拾五丁四十五間巾壱丈【一丈=十尺】。小川村、熊ヶ谷駅ヘ達スル經路ナリ。
寄居道 村ノ東ノ方同郡伊古(いこ)村ヨリ入リ西ノ方吉田村界ニ至ル。長サ四丁五間巾九尺。松山町、寄居駅ヘ達スル經路ナリ。堤塘(ていとう)
ナシ
瀧
ナシ
温泉
ナシ
冷泉
ナシ
陵墓
ナシ
社
淡洲神社(あわすじんじゃ) 村社々地東西十五間南北十一間半面積百五十一坪。村ノ中央ニアリ。息長足日賣(おきながたらしひめ)命ヲ祭ル。勧請年月日不詳。祭日九月十九日。
天神社 村社々地東西六間南北七間半面積七十一坪。村ノ中央ニアリ。菅原道真公ヲ祭。勧請年月日不詳。祭日二月廿五日。
鹿嶋神社 村社々地東西九間半南北五間面積四十七坪。村ノ東ノ方ニアリ。武甕槌(たけみかづち)命ヲ祭ル。勧請年月日不詳。祭日三月十五日。寺
勝福寺 東西三十三間南北十五間半面積五百十八坪。真義真言宗男衾郡富田村不動寺ノ末流、宝蔵山ト号ス。開山(かいざん)祐尊万治元年(1658)九月十六日示寂(じじゃく)ス。本尊弥陀ヲ安ス。
学校
村ノ南ノ方杉山村杉山学校ニ通フ。
学生生徒 男拾貳人 女拾貳人事務所
村ノ北ノ方戸長田中清五郎ノ宅舎ヲ仮用シ村ノ事務ヲ扱フ。
病院
ナシ
郵便局
ナシ
製絲場
ナシ
古跡
ナシ
名勝
ナシ
物産
動物 繭質悪四石
鶏七十羽
鶏卵約千個
植物 米質悪百五十石
大麦質悪五十石
小麦質悪弐十五石
大豆質悪拾五石
小豆質悪三石三斗
粟質悪三石弐斗
桑質悪百六十五駄
楮質悪千貫目
製造物 生絹(きぎぬ)質悪百五十疋(ひき)
薪五百駄民業
男 農業ヲ専トスル者五十人。
『武藏國比企郡勝田村地誌』
女 農業縫織【紡織?】ヲ業トスル者五十人。
【明治十四年(1881) 田中浪吉編】