第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
越畑村
第十六号 十二月十三日
地誌
第六大區五小區
比企郡
越畑村*1
武蔵國比企郡越畑村
本村古時庄領郷ノ唱ヲ傅ヘス。村名改称及ヒ分郷合村等ノ事無シ。
疆域(きょういき)
東ハ同郡吉田勝田ノ両村ト鄰リ山林或ハ耕地ヲ以テ界トシ、西ハ同郡奈良梨(ならなし)横田(よこた)二村ヲ隔テ市ノ川*2其界ヲ劃(かぎ)ル。南ハ同郡中爪杉山廣野三村ニ相對シ山林田野其界ヲ接ス。北ハ男衾郡西古里村ト山嶺ヲ以テ境トス。
幅員
東西拾三町四拾間南北貮拾六町五間。面積六拾八万四千四百六拾貮坪*3。
*1:現・埼玉県比企郡嵐山町大字越畑(おっぱた)。
*2:市野川。寄居町大字牟礼(むれ)に発し川島町東大塚で荒川に注ぐ。
*3:『新編武蔵風土記稿』では東西七町・南北二〇町、『武蔵国郡村誌』は東西一五町・南北一七町一〇間。管轄沿革
年暦不詳本村元高四百六拾八石壱斗九升高木筑後守知行タリシカ、元禄十一年(1698)戊寅(つちのえとら)年五月代官高谷太兵衛支配ト成リ、同年八月該高ノ内二百三拾四石九升酒井但馬守ノ知行ト成リ、寛保二壬戌年(1742)残高七拾八石三升ヲ羽太(はぶと)清右衛門*1七拾八石三升ヲ山高重右衛門*2右【上】二氏ノ知行トナリ、其後残高七拾八石三升ヲ黒田豊前守知行ト成リ、右四氏累世之ヲ分知ス明治元辰年(1868)各縣ノ所轄トナリ、酒井羽太山高三氏ノ分品川縣ノ管轄トナリ、黒田氏ノ分岩鼻(いわはな)縣ニ屬シ、同二年(1869)八月品川縣ハ韮山縣ニ転ジ、同四年(1871)韮山(にらやま)縣入間縣ニ転ジ、此時四氏ノ領知一般入間縣ニ屬シ、同六酉(とり)年(1873)熊谷縣ニ轉ス。
里程(りてい)
熊谷縣廰(けんちょう)ヨリ西南三里ニシテ、四鄰同郡吉田村ヘ拾貮町*3、奈良梨村ヘ拾五町、杉山村ヘ貮拾町*4、男衾郡西古里村ヘ三拾町*5、近傍(きんぼう)宿町大里郡熊谷駅ヘ三里、本郡松山町ヘ三里拾町、榛沢郡寄居町ヘ三里。
*1:『新編武蔵風土記稿』では左衛門、『武蔵国郡村誌』は右衛門。
*2:『新編武蔵風土記稿』では左衛門、『武蔵国郡村誌』は右衛門。
*3:『武蔵国郡村誌』では一五町。
*4:『武蔵国郡村誌』では二一町。
*5:『武蔵国郡村誌』では一〇町 。地勢
高峻四圍率子(おおむね)山ニシテ、東ハ山林起伏シ雑木欝生(うっせい)シ、南ハ耕野平衍*1ニシテ田疇*2相ヒ連リ、西北ハ峯巒(らん)重疂シ極メテ絶嶮是ヲ以車馬ノ運輸最モ不便ナリ。
地味(ちみ)
其色赤黄埴土相混シ、土質悪シク、菽麦*3楮(こうぞ)桑ニ適セス、稲粱*4ニ應セリ。水旱*5倶ニ患多シ。
*1:平衍(へいえん)…たいらでひろいこと。
*2:田疇(でんちゅう)…耕作地。
*3:菽麦(しゅくばく)…まめ・むぎ。
*4:稲粱(とうりょう)…稲と粟(あわ)。
*5:水旱(すいかん)…洪水と日照り。
税地
田 四拾三町二反四畝四歩五厘 改正五拾町六反七畝拾五歩
畑 四拾三町九反八畝廿八歩 改正三拾八町七反三畝歩
宅地 壱町六反六畝六歩 改正七町九反五畝廿六歩
山林 三拾八町七反七畝貮歩 改正百六町四反四畝廿八歩
柴地 貮反三畝拾九歩
総計 百廿七町六反六畝拾歩五厘 改正総計貮百四町四畝廿八歩字地
柳原(やなぎはら) 本村元票ノ北隅ニ位シ東西壱町五拾三間南北四町
前太月*1 柳原ノ正南ニ連リ東西貮拾町五拾四間南北壱町廿五間
嶋 前太月ノ南ニ連リ東西三町三拾間南北壱町三拾四間
後谷 島ノ西ニシテ東西三町三拾四間南北壱町拾四間
大木 後谷ノ東南ニシテ東西三町四拾間南北壱町貮拾九間
小栗(おぐり) 大木ノ正南ニ亘リ東西貮町五拾五間南北貮町三拾貮間
中櫛引 小栗ノ西北ニシテ東西壱町四拾三間南北三町貮拾六間
下櫛引 中櫛引ノ南ニ連リ東西壱町拾七間南北三町四拾三間*1:前太月(まえおおづき)…『風土記稿』では前大月。
貢租(こうそ)
地租(ちそ)米百三拾壱石六斗五升 金七拾壱円貮拾九銭八厘
賦金(ふきん)國税金四拾壱円五拾銭 縣税金五拾銭
総計米百三拾壱石六斗五升 金百拾貮円七拾九銭八厘戸數
本籍 八拾八戸 平民
社三社 村社壱座 平社貳座
寺貮戸 曹洞宗
堂壱戸 薬師堂
総計九拾四戸人數
男 貮百貮拾六口 平民
女 貮百貮拾貮口 平民
総計 四百四拾八口牛馬
牡馬(おすうま) 三拾頭
舟車
荷車 壹輌 小車
山
淺間山(せんげんやま) 高サ貮拾丈周囲夲村限リ五町三間。本村ノ西方ニアリ樹木林立繁茂シ登路壱條頗(すこぶ)ル嶮ナリ。山脈ハ男衾郡高巣村【鷹巣村】ニ連亘(れんこう)シ嶺上ヨリ西南ニ對シ、奈良梨横田近傍(きんぼう)ノ村落ヲ一眸(ぼう)ス。
川
市ノ川用水 同郡奈良梨村ヨリ来リ、本村ノ西方ヲ流レ南ニ環リ、中爪(なかつめ)杉山両村ノ間ニ入リ、深キ処五尺浅キ処貮尺五寸、廣キ処三間狭キ処壱間半、長サ拾六町貮拾六間、田貮甼四反五畝歩ノ用水ニ供ス。
賀須川用水 本村ノ西方字十三間川越岩【川後岩】両池ノ水縱横溝渠(こうきょ)ニ濯漑淋漓*1シテ自ラ其ノ源ヲナシ、村ノ東南ヲ環流シ杦山(すぎやま)村ノ東ニ沿ヒ下流市ノ川ニ合ス。深キ処五尺、浅キ処貮尺。廣キ処三間、狭キ処四尺。長サ六町拾六間。田貮町九反三畝九歩ノ用水ニ供ス。
庚申橋 熊谷道ニ属ス。村ノ東南ニ當リ賀須川ノ上流ニ架ス。長サ三間巾五尺、石造。
野郎子橋(やろこばし) 熊谷道ニ属ス。本村ノ西南ニ当リ、市ノ川ノ上流ニ架ス。長サ四間巾壱間土造。*1:淋漓(りんり)…したたるさま。
原野
大谷ツ原(おおやつはら) 民有地ニ属ス。村ノ北方ニ下リテ、東ハ本郡吉田村ニ屬シ、西ハ奈良梨村ニ接シ、北ハ男衾郡西古里村ト界ヲ連ス。樹木無クシテ芝草繁茂(はんも)セリ。
湖沼
川後岩沼 東西四拾間南北廿六間周回五畝五拾六間。本村ノ北ニアリテ村ノ用水ニ供ス。
十三間沼 東西廿六間南北九拾間周回三町四拾貮間。本村ノ西隅ニアリテ村ノ用水ニ供ス。
三田堂沼 東西百八拾壱間南北廿三間周回七丁。本村ノ南ニアリテ村ノ用水ニ供ス。道路
熊谷道 村ノ北方男衾郡西古里村ノ界ヨリ入リ、西方比企郡奈良梨村ノ界ニ至ル。長サ四町三拾四間三尺巾九尺。大里郡熊谷駅ヨリ比企郡小川村ヘ達スル逕路ナリ。
掲示場
村ノ東方字日向民有地ニ在リ。
堤塘(ていとう)
囲堤(いてい) 市ノ川ニ沿ヒ村ノ西方本郡奈良梨村ノ界ヨリ連続シ杦山村(すぎやまむら)ノ界ニ至ル。長サ四町三拾七間堤敷(つつみしき)貮間半。修繕費用大破ハ官ニ屬シ小破ハ民ニ屬ス。
社
八宮社 村社々地東西廿間南北廿九間面積四百三拾壱坪。村ノ東方ニアリ、素盞鳴命(すさのおのみこと)ヲ祭ル。勧請年月不詳。祭日三月十日。
淺間社 平社々地東西二拾間南北三拾間面積六百八拾貮坪。村ノ西方ニアリ、木花佐久夜命*1ヲ祭ル。勧請年月不詳。祭日六月十五日。
社宮司社 平社々地東西拾三間南北拾七間半面積貮百壱坪。村ノ西隅ニアリ、稲蒼魂命ヲ祭ル。勧請年月不詳。祭日三月十五日。寺
寳藥寺 東西廿三間南北廿八間面積三百八拾三坪。曹洞宗同国同郡廣野村廣正寺末派ナリ。村ノ中央字大堂ニアリテ、元和年中(1615-1624)ノ僧南叟玄壽*2開基(かいき)創立ス。
金泉寺 東西廿七間南北廿貮間半面積百三拾七坪。位置ハ寳藥寺ト同所ニシテ該寺ノ西方アリ。年代開基(かいき)創立供ニ寳藥寺ト同断。
藥師堂 東西九間南北拾六間面積百三拾七坪*3。位置ハ寳藥寺ト同所ニシテ該寺ノ西ニアリ。藥師ハ行基*4ノ作ニシテ勧請年月不詳。*1:『武蔵国郡村誌』では姫。
*2:玄壽(げんじゅ)…『新編武蔵風土記稿』では壽玄とあるが誤り。
*3:『堂庵明細帳』では百七拾七坪。
*4:行基(ぎょうき)…668年-749年。奈良時代の渡来人系の僧。諸国を巡遊し社会事業に尽力、また大仏造営に協力し大僧正に任じられた。死後、文殊菩薩の化身とあがめられ、諸国に行基を開基(かいき)・作者とする寺院・仏像等がある。事務所
村ノ北隅字柳原戸長(こちょう)船戸鍋六ノ舎宅ヲ仮用シ、村内ノ事務ヲ扱フ。
病院
ナシ
郵便局
ナシ
古跡
城山(じょうやま)城墟 東西五町南北三町。本村ノ西方ニ當リ懸崖八九仭*1、山巓ニ塁址ノ形今尚存セリ。武藏風土記ニ云、村ノ西ニアリ土人*2其所ヲ城山ト呼フ、今ハ陸田*3ト成レリ、何ノ頃何人ノ住セシト云フコト詳(つまびらか)ナラス。或ハ庄主水(しょうもんど)ト云シ人ノ居蹟トイヘド其年代モ定カナラズ。按(あん)スルニ当国七黨*4ノ内児玉ノ黨ニ庄ノ権頭弘高トアレバ是等ノ後裔(こうえい)ナルヤト記載セリ。此外別ニ記録ナシ。
*1:仭(ひろ)…高さの単位。八九仭は約140メートル。
*2:土人(どじん)…その土地の人、地元民。
*3:陸田(りくでん)…はたけ。
*4:黨(とう)…党の旧字。「当国七黨」は平安末期武蔵国の武士団。横山・猪俣・野与・村山・児玉・西・丹党の諸党。私市党・綴党を入れる説もある。物産
動物 繭質中拾五石
植物 米質美百七拾六石五斗
大麥質悪シク三拾四石四斗
小麥質悪シク九拾四石八斗
大豆質悪シク五拾五石五斗
楮質悪シク三百斤
器用物 竈石(かまどいし)質美五拾箇
生造物 生絹(きぎぬ)質美百疋(ひき)大里郡熊谷駅ヘ輸送ス
瓦質美五百駄
薪八百八拾駄大里郡熊谷駅ヘ輸送ス民業
男農樵ヲ業トスル者貮百廿三人。工ヲ業トスル者三人。
『地誌』比企郡越畑村
女農桑(のうそう)ヲ業トスル者二百人。紡織ヲ業トスル者二拾人。