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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第1節:村明細帳・村鑑

広野村

  文政四巳年二月十四日
 村方古物改口上書 写
  広正寺共
        比企郡広野村
            四給村中
今度地誌認御用ニ付村方開発已来之始末寺社
之由緒名所古跡之類取認候条右由緒拘リ候記録
并古證文寺社之棟札古来より領主地頭遷替之
年代性名等兼而取認置可申候且又百姓之家柄等
迄相糺候ニ付是又系図古記録古證文之類武
器等所持之者も有之哉能々相尋置追而廻村之
節可申聞候尤廻村日限等之義者追而可申遣候
右之段兼而村方為心得申遣候廻状早々順達留村
より廻村先江相届ヶ可申候已上
   巳ノ二月八日
       地誌認御用出役
            井上彦右衛門 印
            築山茂左衛門 印
南薗部村 北薗部村 古氷村 同新田 長楽村
上押垂村 下押垂村 今泉村 野本村 同新田
柏崎村 同新田 流川村 松山宿 同新田
市川村 月輪村 同新田 平村 野田村
大谷村 岡郷村 山田村 羽尾村 同新田
水房村 太郎丸村 中尾村 福田村 土塩村
菅田村 和泉村 伊古村 広野村 杉山村
中爪村 勝田村 越畑村 吉田村 古里村
奈良梨村 上横田村 下横田村 遠山村 下里村
伊勢根村 高谷村 能増村 高見村 角山村
大塚村 小川村 右村々役人中
追替村絵図有之候村方ハ写差出可申候本文記録
古證文棟札百姓之家柄ニ拘リ候書物等者一覧之上
写取候ニ付別ニ写差出ニ不及候尤村方之由緒地名
等相糺候事ニ候得バ村役人ニ不限百姓之内土地之
様子古来纏之申伝へ等覚居候もの有之候ハバ
廻村之節差出可申候但寺社之内御朱印地又ハ格別之
由緒有之候寺社ハ罷越見分取認候間兼而其段
其向江申通可置候以上
  弐度羽尾村江呼出御廻状写
地誌認御用ニ付先達而廻状を以申遣候通リ
取認候条村役人ハ勿論土地之儀相心得候者
壱人明十四日九ツ時羽尾村江可被罷出候此廻状
早々相廻シ留村方より可相返候已上
   二月十三日  地誌調御用出役
            井上彦右衛門 印
            築山茂左衛門 印
羽尾村会所 平村 野田村 大谷村 山田村
水房村 菅【田欠カ】村 伊古村 太郎丸村 中尾村 福田村
越畑村 広野村 右村々役人中
拾三ヶ村高六千百拾石    月番名主半右衛門
会所掛リ金三両弐朱也      同  弥藤治
此割合高半分村半分      同  太兵衛
割ニ仕候            同  半蔵
              百姓代 宇八
              罷出御答申上候
  御答申上候口上書覚左之通リ
慶安元年子七月御検地
一高木九助様御知行所 元禄十一年迄
元禄十一年
一高谷太兵衛様御支配所
元禄十一年纏同十三年迄
一黒田豊前守様御領地
元禄十四年纏十六年迄
一比企長左衛門様御支配所
元禄十一年寅七月高谷太兵衛様御支配纏渡ル
一嶋田藤十郎様御知行所
同十七年比企長左衛門様纏渡ル
一木下伊賀守様御知行所
宝永二年小林太郎左衛門様纏渡ル
一内藤主膳様御知行所
宝永四年九月小林太郎左衛門様纏渡ル
一大久保筑前守様御知行所
広野村トハ広正寺開基高木九助広正ト
申ニ付同寺ヲ広正寺と名付此由来を以
広ト云儒ヲ取リ広野村ト云ト申上候東西江
弐拾八丁南北江八丁又ハ九丁郷境東ハ太郎丸村
南纏酉ノ方続杉山村西ハ越畑村北ハ勝田村ニ而
北東ノ間伊古村飛地字川嶋江八丁有
猪子栄太郎様御知行所太郎丸村ヲ飛申候又ハ
飛地広野勝【田欠カ】有是ハ猪子栄太郎様御知行所勝田村ヲ
飛申候て字勝田御座候森之御尋ニ御座候
右森之義八宮明神一社四給入会御除地村中
惣鎮守本山山伏泉学院しめはぎ掃除人
下草落葉支配ニ候金皿明神一社是ハ吉兵衛持
弥陀堂壱ヶ所下恆コ持又弥陀堂壱ヶ所中郷村持
飛地字川嶋ニ鬼神明神一社四給入会川嶋氏子
惣村持薬師堂壱ヶ所村持北ニ当リ市ノ川畔ニ
千弐百間之堤有北ハ市之川境水房村太郎丸村
東ハ月輪村南同村西志賀村又飛地字勝田
東ハ伊子村南西ハ勝田村又西吉田村北和泉村
なめ川有本村ニ田仲ニ南西江之加須川あり
此かす川之義者西より南江流申候
寛永十七年棟札
 八宮明神 惣鎮守注連はぎ掃除 泉学院
同年棟札
 金皿明神           吉兵衛持
棟札無御座候
 鬼神明神 字川嶋氏子村持
       参銭 川嶋
       宮鍵  組頭三人支配
   寺分書上
        慶安二年八月廿四日初而頂戴
一御朱印              六通
   高弐拾石
一本尊阿弥陀如来          一尊
   本寺市之川村永福寺九代
一御開山    起山洞虎大和尚
          元和六年庚申十一月十二日示寂
一御開基    萬福院殿大翁秀椿大居士
          慶長十一丙午七月二十六日示寂 
一広正寺殿性空道圍大居士
   寛永九壬申十一月十日 俗名高木甚左衛門正縄
一大鐘 指渡シ二尺三寸
     大哉宝器 虚而体堅
 音応扣撃 功不虚損
       高木山広正寺住持
            通岸達円代
  享保二龍集丁酉年
       三月二十一烏
     野州安蘇郡佐野命住
         井上治兵衛重治
         同 太郎左衛門重友
    施主 高木氏正長
  右之通リニ御座候以上
      武州比企郡広野村
             広正寺
 広正寺世代現住共ニ拾八代  暁山僧 印
 文政四巳年    比企郡広野村
    二月十五日      月番名主半右衛門
                  名主弥藤治
                  名主太兵衛
                    名主半蔵
             四給代兼百姓代宇八
  御勘定奉行所様纏
   御儒者
     林大学頭様御附
        井上彦右衛門様
        築山茂左衛門様
高百五拾石三斗五升壱合
 一内藤主膳知行所      名主弥藤治
高百九石四斗五升四合
 一嶋田藤重郎知行所     名主太兵衛
高九拾五石五合
 一木下久兵衛知行所     名主半右衛門
高七拾五石壱斗七升五合
 一大久保筑前守知行所    名主半蔵
                  (広野・永嶋正彦家文書22)

「村方古物改口上書写」文政4年(1821)(広野・永嶋正彦家文書22)
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