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第6巻【近世・近代・現代編】- 第10章:空から見た嵐山町

第2節:空から見た菅谷地区

平沢
2010年3月12日

白山神社、旧平沢寺建物跡

白山神社、旧平沢寺建物跡|航空写真
2010年3月12日 撮影:内田泰永氏

A:白山神社
  埼玉県指定旧跡 太田資康詩歌会跡
 太田源六郎資康は太田道灌の子である。道灌は、江戸城築城等で知られる知将であったが、扇谷、山内両上杉氏の争乱の犠牲となり暗殺されてしまう。/資康は、父の仇敵上杉定正を撃つべく、この地平澤に布陣したという。
 その時、道灌の友であった詩歌の大家で元京都相国寺の僧、漆桶萬里集九は、はるばるこの地を訪れた。時に長享2年(1488)8月17日であった。/萬里が陣中に36日滞在したとき、資康は、萬里のために送別の詩歌会を敵と対峙しながらここ白山神社で催した。/その詩歌会で萬里は社頭月と題し作詞したことが梅花無尽蔵という書に次のように残っている。
一戦乗勝勢尚加 白山古廟沢南涯
皆知次第有神助 九月如春月自花
B:町指定史跡 旧平沢寺建物跡
指定 平成9年(1997)4月1日
所在 嵐山町大字平沢字赤井1071
時代 鎌倉時代
C:閼伽井の井戸(あかいのいど)

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