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第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争

第2節:戦争の記録

七郷村十一婦人会をみて

 三月二十五日本県でも珍しい婦人常会が比企郡七郷村【現・嵐山町】に開かれるといふので午後二時頃目的地越畑部落婦人常会の開かれる田島家を訪問、集る者部落の全主婦二十二名、農事実行組合幹部、農会技術員、小学校助教員等合計四十名程度、案内されて先づ部屋に入る。そして感じたことは常会はこれでなければ駄目だと、それは目に入って来る感じが実に和やかだ。乳を含ませて居る若い母、茶菓を喰(た)べながら話し合って居る主婦、これ等からかもし出す空気がほんとに明朗そのものである。農事実行組合長、農会技術員、小学校教員、各々の立場より夫々農産物の供出につき主人に積極的協力をして欲しいとか、農民は農民としてあくまで農の為につくすのが国家に報ずる道であるとか、生活をより一層改善しなければならないといふやうなことを例をあげつつ話し合ひ、主婦等もこれに対して種々質問を発するなどこれが和気藹々(わきあいあい)たる談笑裡(り)に運ばれてゆく。全く愉快の限りである。これであるから昭和五、六年(1930、1931)頃村全体が衰亡の危機にあったその難局を今日の模範村にまで仕上げて行ったのだといふことをしみじみと感じた。それと同時に村の人たちがいふやう常会がこんなにまで部落振興に効果あるものなのかと更に認識を強めた。常会が部落振興に及ぼす効果と婦人常会の緊要性を如実に示されて居(お)った。此の点深く敬意を表して辞した。各町村共是非婦人常会を開いてもらひたいものである。

埼玉県国民精神総動員資料第五輯『埼玉の常会』21頁〜22頁 1940年(昭和15)3月

 国民精神総動員運動は、1937年(昭和12)7月、日中戦争勃発後、第一次近衛内閣によって始められた国民運動。挙国一致(きょこくいっち)、尽忠報国(じんちゅうほうこく)、堅忍持久(けんにんじきゅう)のスローガンを掲げて国家総動員体制確立を目指した。運動の重点は当初の戦時意識高揚のための啓発運動から、日中戦争の長期化とともに戦時生活の推進、戦時態勢の強化へと変り、1940年(昭和15)の大政翼賛会の翼賛運動へと引き継がれた。1940年(昭和15)は建国神話にもとづく「紀元二千六百年」の年で、新年を迎えるに当たり、土岐銀次郎埼玉県知事は、「我国始って以来の難局を乗り切るには何を措(お)いても、公私生活を刷新し、強度に戦時化して奉公精神に徹した剛健で然(しか)も素朴な国民生活を実践して行くことが極めて大切である。即ち先づ簡素生活を実践することが最も必要である。早起励行、報恩感謝、大和(たいわ)協力、勤労奉公、節約貯蓄、心身鍛練等を徹底的に実践するのは勿論、日常生活の非合理性を清算して合理化し科学化し出来得る限り生活費を切り詰め、物資の節約、死蔵品の活用、廃品の利用更生等を考へ、更に進んで積極的に虚礼的な社交儀礼を撤廃し、家庭生活、消費生活の共同化の方法を研究すると共に戦時経済道徳を確立し戦時生活を極力推進しなければならぬ」とその決意を述べている。
 常会(じょうかい)とは期日を定めて開かれる会合という意味である。国民精神総動員運動ではその必要性が以下のように強調されていた。

常会講座

 常会の必要 時局は愈々進展して新支那中央政府も樹立され東亜新秩序の建設は着々と進められてゐる。新秩序の建設が進むにつれ支那をめぐる第三国との関係は益々複雑化して来るであらう。寔に日本にとつては空前の重大時局に直面してゐるのであるからお互が今までのやうに自分の事だけ考へて生活して居ったのでは此の難関を乗り切ることは出来ない、挙国一致愈々国民精神を昂揚し政治経済生活、その他公私総ての方面を思ひ切つて刷新改善して徹底した戦時生活を遂行しなければならぬ。
 国民精神総動員運動は従来の国民運動と異りその内容が極めて広く且つ深く単なる精神運動に止るものではなく自治行政、産業経済、教育教化凡ての方面の基調をなすものであるから、今は何を措いても之が徹底に努力しなければならぬ。若し万一にも之を忘れてこの国民運動にひゞが入るやうなことがあつたらそれこそゆゝしい大事である。それには常会を開くことが一番よい方法であらう、結極の所近所の人達同志、隣保相助、向ふ三軒両隣りの精神を基調として部落民村民が一つ気持ちになる。所謂一部落一家族の精神で行くのでなければ本当の国民精神は培れない。県下市町村の優良なものを見るに市町村常会、部落常会等がよく励行されて居る為に市町村内は一円融合せられ何等の対立摩擦抗争なく各種の機関団体が極めて緊密な連絡のもとに、自治産業教育等各種の施設が有機的に一体化して運用せられ、市町村民相互の精神教化と福利増進に甚大の効果を挙げてゐる事実が常会の絶対的必要を雄弁に物語つてゐる。

 常会の意義 市町村民なり部落の人達なりが一場に集り互に膝をつき合せて市町村なり部落の自治を進めることや精神教化のことや産業を興すことや経済更生のことや国民精神総動員運動のこと、殊に最近の事情から言へば物資の配給、各種の供出、更に貯金その他税金或は各種代金の集金等各方面に亘つて相談したり実践したりするため、つまりお互ひの国民としての生活の全面にわたつて真にその源泉を培つて小にしては地方の振興に大にしては国力の充実強化に寄与するために開く会合で毎月一回以上きまつて開くから常会といふので或は月並会、月例会など毎月定期に行はれる寄合と同じ意味である。

 常会の種類 常会には市町村常会、町内常会、部落常会、実践班若くは隣組等がある。その他にも中間的なものに幹部常会又家庭で開けば家庭常会と言つたものもあらう。
 市町村常会とは市町村内の幹部が集つて開かれる常会、町内会又は部落常会とは町内若くは部落の人達が集つて開かれる常会、実践班とか隣組の常会とは、五戸乃至十戸位の組合とか或は伍人組什人組とか言はれてゐる人達からなる常会である。幹部常会といふのは一つの町内若くは大字等で全部の人達が集るとすると多過ぎて却つて困る場合がある際にその幹部の人達だけ集つて開かれる常会をいふのである。

埼玉県国民精神総動員資料第五輯『埼玉の常会』6頁〜7頁 1940年(昭和15)3月

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