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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

旧菅谷村

婦人会長の立場 —選挙後話—

 選挙位おかしなものはない。人の腹の中がねこそぎわかつてしまふところは至極いゝ。しかし私はこの渦中に入ることは元から嫌ひなのに勢に巻かれて、ウカウカと途中まで行つて、引きかへした理由に字根性(あざこんじょう)があつたといはれても仕方がない。
 一番困るのはどこのいづこの風景にもある混合戦である。あることないことデマつて人格をしひる。これがいやさに選挙は嫌との宣託も出るわけ。
 九月十三日に公明選挙協議会なるものが松山にあつて守屋県選管委総務部長や松山署長に親しく話をきゝその線で、更に日本婦人有権者同盟、公明選挙推進会、常任理事、全国婦人団体連合会会長市川房枝女史のリーフレツトをそのまゝ拝借し配布して確信に充ちて菅谷支部を公明選挙で啓蒙して歩いたのが神経過敏の選挙雰囲気に祟を生じ、会長が赤いとか靑いとか事前運動だとか変なセンセイシヨンを起こしたかに見えたが、市川房枝が赤いとはまだ聞いた事がないし私は県から廻されたリーフレツトをそのまま使用したに過ぎない。
 共産党の方からはあべこべに大分苦情さへ出て来てゐる程だ。米ソの対立をよそに見てそのどちらにも属しない東洋精神文化を基調とするアジア人のアジア建設を目標とする日本独特の民主々義の中道をゆかうとする私。これを極右が見れば赤に見、極左が見れば反動に見る、全く御難の道だ。
 吉田ワンマンが戦時中の獄中生活も矢張りこんなところからの災難らしい。
 選挙といへば何か異常の心理が働き出し人物の正しい批判はどこへやら競馬に賭でもするやうなつもりで対抗意識でやつてしまふ。その上村内の事でもあれば、まるつきり字(あざ)意識一本建てゞゆくのだから始末に終へない。
 ことに婦人の場合盲目に等しい選挙観念をさまして正しい選挙に導かなければといふ一すじの親切心から十七日最初の手段の、「選挙の話」には自分が立候補しようの心も毛頭なく各支部を廻るにつれてそんな気勢が上つて来たものなのである。
 総務部長に教へられたワクの内で違反にならぬ限度を持ちながら冷静に各党の解説をリーフレットの主旨により伝へたまでで、私の主観はどこにも出さなかつた、これが違反といふなら尻は総務部長の方へ持つていつて貰ふことだ。
 いくらたゞ使へる会長でも、くそ骨折つて悪口では立つ瀬がない。婦人会長を出すと村中の票を喰ひ荒らされる心配からアノ手コノ手で中傷したと解釈すればラチもないが、でも罪なお方達ではある。
 「水清ければ魚すまず」と誰かゞつぶやいてゐるがさてさて公明選挙とは世が遙かなものである。
(根岸き) 

『菅谷村報道』26号 1952年(昭和27)10月10日
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