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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

旧菅谷村

 菅谷村婦人会の創立総会は、1951年(昭和26)2月18日開催された。
 この時期、七郷村には七郷家庭婦人会(初雁冨美会長)があり、菅谷村、七郷村婦人会ともに村役場に事務所が置かれていた(昭和26年5月現在『社会教育関係団体名簿』埼玉県教育局社会教育課)。

婦人会を発足して

                 根岸喜

一、婦人の修養(65%) 月一回の常会を望むといふのが多数
 1.講演会     64票 料理編物洋裁染色
 2.講習会     72票
 3.巡回文庫    15票
 4.座談会     61票
 5.生活合理化   72票
 6.見学旅行遠足   9票
 7.家庭教育    41票
 8.保険栄養育児  34票
二、生活改善(21%)
 1.冠婚葬祭簡素化 73票
 2.服装美容    33票
 3.台所改善    11票
 4.時間確守     3票
三、内職斡旋      9票(1.6%)
四、戦没者遺家族慰安  9票(1.6%)
五、託児所図書館設置  6票(1%)
六、映画娯楽      9票(1.6%)
七、よい婦人会に   29票(5%)
八、主人姑の啓蒙    9票(1.6%)
九、その他      37票(2.5%) 内三度に一度は鎌形校で会合を望む1%

 本婦人会は去る二月十八日は斑(まだ)ら雪の寒い日に発足すると同時にその方向を定めるため「婦人会に何を望むか」の標題の下に全村に世論調査を行った。其の結果右【上】の表の通りである。「主婦はもうこれ以上何もしたくないと云ひたい程日常の仕事が多い」とこぼされて見れば、それも素直に同感される。しかし「飽くまでも家庭婦人の立場に立脚して、その日常の平凡さの中に楽しみ、潤ひを見出し、真に生甲斐を感じさせる様計画して欲しい」との切なる望はめざめた限りのあらゆる主婦の総意でもあらう。私はわざと項目に依らず漫然と広い質問形式を選んでやってみた結果、百論続出して、お陰で面白く、ずい分参考に資する処があったと喜んでいる。パーセンテージを見ていたゞきたい。
 表が示す通り、先づ、婦人自身の修養、即ちその精神的向上及び日常生活に必要な技術の習得の面が圧倒的に多く、講演会や講習会、或は巡回文庫、見学旅行、座談会の具体案から単に生活の合理化という抽象案に至るまで相含めて65%、これは皆農村一般女性の低調な生活面が描くしつこくの中で、あえぎながらも空を見つめて訴える悲痛な欲求の声に私にはひゞく。他方「主人や姑の啓蒙再教育」1.6%という一項を見た時、前項と表裏をなして、暗にこれら女性の進出向上を阻(はば)む黒い影のあることが肯(うなづ)けよう。どうか御主人や老人の方々の婦人に対する理解の一端として努めて諸会合に女を出席させて下さるやう切望する次第である。それが子女の為、家庭の為、明るい幸福をもたらす所以(ゆえん)である事に思いを致して頂きたい。又どこの何の会合にも出席率の低い事と時間の確守せられぬ事は非文化、非向上の明らかな表示であるやうだ。我が婦人会は率先してこの悪習を打破してゆきつつある。
 次には生活改善の21%である。その内冠婚葬票祭簡素化が13%で、これはどこの婦人会でも取り上げぬ所はないらしいし、現に当郡でも点数制が規約されてゐる様で川島領六ヶ村【現・川島町】はこれに依っていると書いてあったが、点数制は一見不自由なように感じられるが、地域的に個人的に融通性があるから便利だと思う。何れにしてもまちまちに定めたのでは実行され難い。一郡一県とまとめ、その上充分地域的なふくみを持たせた案であって、一旦規約が出来た以上実行しなければ意味がない。
 我が婦人会も再度審議を重ねた原案を持っている。これを更に村一体に移して、男も女も、諸団体協同でこれの実施を期したいと望んでいる。
 婦人会そのものの育成についても5%の関心を持たれている。是非とも大方の希望に副(そ)いたいと念願している。「愛に結ばれた和やかな婦人会にしてゆきませう」の一票は最も私の意を得たうれしい人のうれしい心であって「婦人会がなくも私は結構幸福に暮せます」といった人と比べて何といふ人間の違いであろうとしみじみ思った。服装美容、結髪についても意見が出ている。女である以上尤もな事であるし左にこんな票もあった。
 「婦人会長は女らしくあれと挨拶したが、女らしくとは美しくあれと言うことだと思う。天野貞祐氏がいうように『おしゃれは女性の特権である。おしゃれをした女性ほど美しいものはない』のだ。この女性の特権を放棄しては婦人会は存在の価値なしであると思う。総会の日の会長の髪はボサボサで油もつけてなかったが、こういうのはエチケットを知らないんではないかと思う。モンペをはいた殊更(ことさら)貧しげな服装をすることは、近代女性のなすべきことではない。永遠に美しくある事も人生の願でなければならない云々」
 そして都会に於いて四季の変化を銀座の柳の芽ぶくのを見なくとも婦人の服装で感ずる事で出来たそうである。私はこの票を無条件で受け容れるものではない。天野氏のおしゃれが那辺にあるものか知らぬが、美容というのは実に微妙な人体の表現であって、典型的な美貌がさして映えなかったり、又美人というのでなくても人をひきつけて已(や)まぬ魅力を持つ人がいる。こゝには人から教えらるゝことの出来ぬ精神の表現が加わっているのだと私は解釈したい。
 ある画家が善のモデルにした人と悪のモデルにした人と時代こそちがえ同一人だった話は有名な話である。同一人すら悪行の時代には悪の象徴となり、善行の時代には善の象徴となる。知識人は知識人の美を、農娘は農娘の美を、娼婦は娼婦の美を為さしむる。こゝに「おしゃれは人なり」ということがいえないだろうか。内容の美を内に深く秘めた女性の姿こそ真におしゃれの意に叶った形容であって更に環境や思想による別個の美がそこに交錯する。私の婦人会にはそんな美容を望みたい。女は永遠に美しくあれという言葉に異存はないと同時に精神の御化粧を怠ることはできない。
 今回の世論調査には何故か衛生思想の現はれが少なく、今農村が最も関心を持たねばならぬ産児制限の問題もわずか一票二票より出なかった。日本の人口過剰は農村が温床であるといはれる。土地改革により農村の世帯数は無暗に殖やすことは出来ぬ。二男三男は、然らばどこへゆくか。都市への集中が年を追うて激しくなる。そこにさまざまな様相を持つ悲劇が生れ救われがたい事件が起る。しかし農民自身にとっては直接には何の影響もない。幸い食物は自宅で取るからどうにか食べさせられる。従ってこんな問題は余り関心事ではないらしい。又農村は特に非衛生な所であるのに伝染病など書いたのが一票あったのみ。台所の改善なども能率の上からは勿論であるが、衛生の面にはそれ以上の大切なつながりがある。便所肥溜の設備は皆金との談合ではあろうけれど、是非とも改善せねばならぬ焦眉の問題であると思う。
 婦人会の仕事は雑多であるが少なくとも上層、中層、下層(貧富の差でなく)位には分けねば最末端までのしんとうは覚束かない。私どもの苦心はこの中層から下に多くある。農村に於けるこの層はしかも大多数を占め、読む書くという事から一切自分を敬遠させて婦人会の何たるかさえ知ろうとしない。たゞあるものは祖先伝来の過重労働に疲れて子女の育児さえ放任しておく。とにかくこの層の人々を出来るだけ会合に引き出し、紙芝居や幻燈、映画なら申分なし、半教育娯楽のもの位から啓蒙してゆくより外方法はなさそうである。この層の人達を意のままにすることが出来たら農村婦人会の役目は終わったと云っても過言ではあるまい。今は農繁期である。会合は尚のこと望めない。せめてこの時期を無為に過したくないため、母親教育を目指して半紙四つ切のプリントを月四五回印刷頒布したり、農閑期用の紙芝居の資料しゅう集作製に当ろうとしている。

埼玉県教育局社会教育課『埼玉社会教育』2号 1951年(昭和26)7月25日
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