第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
越畑
村の文化財
越畑八宮神社の獅子舞
小林峰久
七月二十五日、猛暑の昼下がり、越畑の八宮神社鎮守の森からは横笛の優雅な音色が流れ出る。
『菅谷村報道』145号「村の文化財」 1963年(昭和38)7月25日
昭和三十三年(1958)三月、埼玉県無形文化財の指定を受けた獅子舞いの奉納である。伝えによればおよそ数百年前、当地方に旱天が続き農作物は枯死、収穫は全く無く数年におよぶ大飢饉が続いた。
それに加えて疫病ははやり、住民の苦しみは一方ならぬものがあった。この時村人相はかり神仏の加護によらんと獅子頭を作り、伊勢の国山田の里(現三重県伊勢市)に行なはれる獅子舞を移して鎮守に奉納し天災疫病を払ったのがその初まりである。内容説明に氏子総代からの解説書をそのまま掲載すると、
○ 獅子は大頭(だいがしら)(白髪にして黒色)、雄獅子(栗毛髪にして茶褐色)、雌獅子(黒髪にして赤色)の三頭にて笛鼓に合せて舞う。舞楽荘重にして典雅。年々鎮守の例祭に神前に奉納し、天災悪疫の防除を祈念し、鎮守の信仰と氏子共栄の中心となし来たり、然(しか)して獅子舞は門外不出一社相伝にして、代々氏子中の長男を以って当り祭日一ケ月前より斎戒之に奉仕す。例祭当日は獅子舞関係者氏子総代一同寺に集いて法螺貝を合図に大行列にて社頭に練り込みて、奉納終れば再び集りて恙(つつが)なく行事目出度終了せしことを氏子一同祝福するを通例とす(富士浅間神社祭神木花咲弥姫(このはなさくやひめ))
○歌(古風なる歌調にして獅子独特なもの)長唄。
初庭の歌詞
まへり来て、これのお庭を眺むれば、黄金こ草が足に絡(からまる)。
二庭月歌詞
この宮は飛騨のたくみのたてたげな楔一つで四方かためる。
○獅子舞の解説(初庭の情景)。
イ、 牡丹・芍薬・桜草百花蘭満【爛漫】、競い咲きたる花園、何処からともなく流れ来る天然の音楽、その楽の音に乗り踊ったり跳ねたり起きつまろびつ三巴(みつどもえ)になり遊びたわむれている雌雄(しゆう)の獅子いつかは沸立(わきた)つ愛情、雌獅子のあで姿に心引かれた雄獅子いつかは雌獅子を恋いしたった。
ロ、二庭月情景(雌獅子隠し)。
折あらばと機をうかがった雄獅子は霧の深みに乗じ、智謀たくみに大頭獅子を煙(けむ)にまいた。思 意のまゝに行った雄獅子色男ぶりを存分に発揮した。こちらは大頭獅子、雌獅子を見失なったので百花咲満ちた花園の中を西に東に必死となって駈け巡りて 探し求めた。今は心身共につかれ果て已(すで)に倒れん計(ばか)り、岩根にもたれ思わず吐息をもらす折、ちらりと岩陰に見出したもつれ合う二つの姿! その瞬間今までのつかれる姿は何処へやら憤怒に燃えた大頭獅子は砂煙を立てゝおそいかかった。されど恋の勝利者雄獅子は大頭を嘲笑と共に真向よりおどしつけた。残念さのはがみと共にしばし黙して考え込んだが、突如猛然と二つの間に割って入り、心ゆくまで惨々と雄獅子をおどしつけた。おどされた雄獅子は情熱の怒りに一度は口こたえたが、自分の行跡(ぎょうせき)を悟り黙々と考えた。しかる後自分の行跡をひたすらに詫びたり。ここに和合なりて悽惨(せいさん)を極めた恋の嵐は何故【何処】へやら三巴になりて跳ねたり踊ったり、こけつまろびついともなごやかな平和が訪れたのである。
以上、解説書によったがこの舞は、通称「さゝら」とも云われるとおりさゝらっ子の果す役目も大きい。これにつき若干説明すると、かすりの着物にわらじ履きで頭に花笠をつけ手に十二本に割ったさゝらを持ちすり合せるがその意味は、百花咲きほこる花園の中に十二ケ月の鳥の鳴き声を現わすと云われる。この音色と横笛が融和する中に獅子舞は絶頂に達するのである。
後継者の都合により明治末期から大正初期にかけて一時の中断はあったが、各地で祭事も略化されて行く今、旧態を護り益々盛んなこの行事はまさに指定文化財の名に相応(ふさわ)しい存在である。