第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
古里
『新編武蔵風土記稿』は、江戸幕府が編さんした武蔵国(現在の埼玉県と東京都の隅田川より東の地域と島嶼を除く部分、および神奈川県の北東部、現在の川崎市全域と横浜市東部・沿岸部を合わせた地域)の地誌である。1810年(文化7)に編さんに着手し、1828年(文政11)に完成、その後訂正を加えて1830年(天保元)、将軍に献上された。同書の比企郡古里村には、次の記述がある。
兵執明神社 村ノ鎮守ナリ、社内ニ蔵スル宝永七年(1710)ノ棟札ニハ兵執明神ト書セリ。
愛宕社
稲荷社
以上三社ハ竜泉寺持。
竜泉寺 天台宗、江戸山王社別当城林寺ノ末、金剛山金州院ト云ヒ、開山ノ僧ハ貞治三年(1364)十月示寂セシト云フノミ其名詳ナラズ。当寺ハモト光林寺ト号セシヲ、慶安三年(1650)真海ト云フ僧中興セシ時今ノ寺号ニ改メタリ。真海ガ寂年詳ナラズ本尊弥陀ヲ安セリ。
重輪寺 元ハ重林寺ト書セリ。曹洞宗、上野国群馬郡白川村瀧澤寺末、旧里山ト号ス。慶長年中(1596-1615)ノ草創ニテ開山理山銀察ハ寛永十年(1633)十一月廿五日化ス。本尊地蔵ヲ安セリ。
写真は重輪寺の本寺瀧澤寺。箕輪城阯のある群馬県高崎市箕郷町白川1583にある。
重輪寺開山の理山銀察和尚は、瀧澤寺十一世であった。