第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
古里
1973年(昭和48)7月31日、兵執神社神社氏子総代・八坂神社氏子代表の飯島繁氏の申請により、翌74年(昭和49)9月10日、古里八坂神社祭り囃子が嵐山町無形文化財に指定された。「八坂神社祭り囃子細記」は申請書に添付された書類である。
古典芸能
町無形文化財申請書添付書類 1973年(昭和48)
古里八坂神社祭り囃子細記
八坂神社祭り囃子保存会
一、種別 無形文化財 芸能
二、名称 八坂神社祭り囃子
三、所在地 嵐山町大字古里字中内出650-1番地
兵執神社末社 八坂神社
四、管理者 古里兵執神社氏子総代並に八坂神社氏子代表が管理者となる。
五、文化財の由来
比企郡神社誌によれば、八坂神社愛宕神社外六社を明治末期(明治四十一年頃)本社兵執神社に合祀すと記されている。八坂神社、愛宕神社は元、尾根愛宕山に鎮座し、尾根及び内出向井組の総氏神として古くより崇拝され親しまれた社である。八坂神社は元天王様と呼ばれ素戔嗚尊(すさのおのみこと)を、愛宕神社は火産霊命(ほむすびのみこと)を祭神とし、いずれも神徳あらたかな社である。
八坂神社の例祭は古くから旧六月十四、十五日に行われ、夏祭りとしてみ輿の渡御が盛大にとり行われて来たが、最近は社殿より愛宕山のお假舎に奉遷して祭事を行うのみとなった。御輿の渡御と並行して山車を繰り出すことになったのは大正十四年(1925)頃で、天王祭りをより盛大に行ない,之を近郷に喧伝して氏子衆の気概を昂揚し併せて五穀豊穣と疫病払拭(ふっしょく)を祈願する氏子一同の切実な叫びを具現したに外ならない。則ち氏子若連を結集して祭り囃子の猛稽古にかかり、山車上に華やかな囃子の響き始めた大正末期より今日まで約五十年の歳月を重ねるに至った。
八坂神社祭りは現在七月十九、二十日行われているが、今は御輿の渡御も山車も繰り出されず往時のような華やかさを失なったが、わずかに愛宕山の一角において行なわれる流暢(りゅうちょう)な祭り囃子は、相変らず若連の力強い音を四囲に響かせて、参詣人の心を楽しませてくれる。
六、祭り囃子保存会の構成
八坂神社氏子一同を対象とする
七、演技責任者
八坂神社氏子代表と同祭り囃子演技代表とする
八、演技執行場所
愛宕山(お假舎)その他
九、演技執行の時期
八坂神社例祭の毎年七月十九、二十日
十、使用する楽器の概要
横笛、大太鼓、小太鼓、鐘、その他
十一、演技者の構成
笛吹き一人 大太鼓一人 小太鼓三人 鐘叩き一人
十二、演技者の服装
揃いの裕衣【ママ。浴衣】、八巻【ママ。鉢巻】、襷がけとする
十三、演技の種類
(一)若ばやし (二)はやし(こくもでん、くもうでん) (三)新ばやし
十四、祭り囃子の曲譜
(一)若ばやし (二)はやし (三)新ばやし 別紙のとおり
十五、開始当初の若連と指導者
(一)若連 飯島益三 大塚寿良 大塚延一 大塚茂一
大塚悦蔵 関根米吉 飯島貞治 安藤源蔵
田畑正義 その他
(二)指導者
富岡寿朗 吉野金作 笠原富治 関口義治
関口宗吉 吉野和三 その他
指導者は江南村板井の人たち
以上
祭り囃子略譜
【省略】