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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第1節:ひと・生活

釣り・鮎漁

槻川の鮎漁 涼風颯々清流に満つ

報道三十五号発行記念に、計画された鮎漁は本会主催で、全村八十余名の有志が参加して昭和二十八年(1953)八月二日に行なわれた。これは村民レクリエーション大会として後世に伝うべき一行事であつた。以来、世も移り、新村*1が誕生して満七年。人も変つて、当時の花型も、すでに数人が故人となり失せた。歳月は流れて夢のように早い。報道も更に一〇〇号を加えて、この七月で一三五号となつた。九年の昔を偲んで、槻川上に鮎漁の風物を捉えた。自然は変らない。槻川の清流に、颯々として昔ながらの涼風が吹いている。

   岩間ゆく 清き河瀬にあそびけん
     鮎にしあれば 見るも涼しき
            (伊藤左千夫)

   飛鮎の底に雲行くながれ哉
             (鬼貫*2

『菅谷村報道』136号 1962年(昭和37)8月5日

*1:1955年、菅谷村と七郷村が合併し菅谷村(現・嵐山町)が誕生した。
*2:鬼貫(おにつら)…上島鬼貫(うえしまおにつら)、1661-1738年(万治4-元文3)。江戸時代中期の俳諧師。「夕暮は鮎の腹見る川瀬かな」もある。

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