第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会
橋
待望の月田橋完成
本町の大字根岸と東松山市上唐子境界(県道大野東松山線)に、このほど月田橋が旧橋の五〇米下流にできあがり、九月二十八日その竣功式が行なわれた。
『嵐山町報道』177号 1967年(昭和42)10月15日
旧橋は、木橋でたびたび改修されたが年毎に老朽化甚しく、月田橋架替促進期成同盟会に於いて、昭和三十五年(1960)以来国県に対して陳情してきたが、公共事業により昭和四十年(1965)九月二十七日着工、昭和四十三年(1968)を目標に工事を進めてきたが、特に埼玉国体の堂平からの炬火通路として指定されたので工期を短縮、昭和四十二年(1967)九月七日完成した。
この橋は、鉄筋コンクリート橋、延長二〇〇・八米、巾員六・〇米、工事費四九九二万七千円、請負業者は関中組、住友建設である。
式は、午前十時に始り東松山市役所企画室長の開式、神事、東松山市長、知事代理の挨拶、国会議員、県会議長代理、町村会長、議長会長の祝辞の後、知事代理、東松山市長、嵐山町長によってテープが切られ盛大な渡り始めの式を終了した。祝賀会は、東昌寺会館で祝宴が開かれた。