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第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第1節:社会基盤・通信・交通

電気・水道

古里に電燈灯る

 江戸時代の照明は菜種油などを燃やす行灯(あんどん)か、蝋燭(ろうそく)を灯す燭台(しょくだい)・雪洞(ぼんぼり)・提灯(ちょうちん)でした。幕末、西洋から石油を燃料とするランプが伝えられ、明治に入ると石炭ガスを燃やすガス燈が街路を照らすことになり、生活は一段と明るさを増すことになりました。
 次いで電燈が初めて点灯されたのは1878年(明治11)3月25日、工部大学校(東大工学部)におけるある祝賀会の時でした。この電燈はアーク燈でしたが、今でもこの日を「電気デー」として記念しています。続いて1885年(明治18)、白熱燈も発明され、全国各地に電燈会社が次々と誕生し、その利用は急速に広まって行きました。しかし、埼玉県の電燈は1900年(明治33)に川口、1902年に大宮、1905年に川越と点灯されましたが、1913年(大正2)にいたっても全県380町村の中、電気供給を受けたものは8分の1の45町村に過ぎませんでした。
 七郷村北部の古里への伝播は更に遅く、1929年(昭和4)4月28日、東京電燈株式会社熊谷出張所と電燈設置の契約が締結されています。電気工事は85世帯、172燈の設置に5月21日から44日間、電工延156人を要しました。安藤寸介・安藤幸蔵を中心に25名の電燈委員会が設けられ諸事審議、運営にあたりました。
 総経費は500円を超え、1戸当り6円弱の負担でした。その他有力者は相当の寄付もし、引込み用の小柱は各戸自弁ということで大変な出費となりました。6月28日、本検査、夜仮点火。ランプに代わって明るい電燈が灯ったのです。その夜、点燈祝賀会が開かれ、来賓10名、字内の人々30名程が参加、電燈の灯ったことの喜びを分かち合いました。
 始め電燈料は定額制(一定時間だけ点燈して一定の料金)で、16燭(しょく)一灯で月78銭でした。やがて計量器(メートル器)に示される使用量にもとづき料金を支払うメートル制が導入され、いつでも電気がつくようになりました。
 明るさは16燭で20ワット、32燭でも40程度の明るさでしたが、それれでも行灯やランプよりははるかに明るく手間もかからず安全であつたので、大いに歓迎され普及していきました。

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