第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
志賀小学校
子供たちにイキイキとした放課後を!
志賀学童保育室 岡野璃恵子
志賀学童保育室が発足して間もなく一年になろうとしています。何の経験も知識も無い私たちが何とか運営して来られましたのは、大勢の方々の御支援のお蔭と感謝いたしております。
『嵐山町報道』304号 1982年(昭和57)3月25日
「子供たちにイキイキとした放課後を!」をモットーに、父母・指導員の合意のもとに運営をしてまいりました。子供の自主性を尊重しながら、きまりを守る思いやりのある子にしたいと願っています。指導員のお二人は時間外にもかかわらず自主的に研修会に参加して、坂戸や東松山の学童保育クラブの経験を学び、どんどん保育の内容を向上させていってくださいました。
子供たちは、四月・五月のころは戸惑って、やたらにはしゃいだり、寂しがったり、ケンカしたりたいへん不安定に見えました。そのころ「保育室は家庭であり指導員はお母さん」という方針で、甘えたい子には甘えさせ、スキンシップに重点をおいてきました。折り紙を教え、本を読んであげて、ボール投げの相手をしてと、指導員と子供が一対一で対応することが多かったと思います。
その後の保育の過程で子供たちは落ち着いてくると同時に、グループ作りが進み指導員は遊びの先生であり生活の仲間となっていきました。冬の三カ月は手作りおもちゃに主体をおいて、木のカレンダー、凧、竹の食器、下駄を作り上げました。切出しナイフと電動ドリルを子供たちに使わせて先生は介添え役です。のこぎりと斧は先生が使いました。このごろは、おやつのりんごは自分で皮をむいて食べています。二月中には、庭にとりでを作りたいそうです。又、庭でサッカー・ドッジボールと夢中です。砂場作りも畑作りも皆で力を合わせました。うさぎも四羽飼って世話をしています。「余り早く迎えにこないでー」と頼んでいる子もいます。
楽しい行事もありました。庭でキャンプをして食べたカレーライスの味、お父さんお母さんが汗をかいたもちつき大会のあのおもちのおいしかったこと!、遠足のお弁当、やっぱり思い出は食欲と結び付いています。
悩みは、子供たちが少ないことです。二十名を目標にしていますが、中々達成出来ません。父子家庭、母子家庭の様に、絶対に必要な方々は迷わずにお預けになるのですが共働きの御家庭では、いろいろとお迷いになるようです。今迄、一人で留守番が出来たのだからこれからだって出来るに違いない。家計も苦しい。でも一人で留守番をしている子の心の中はどんなに寂しいものかを考えてみてください。無口になって、笑顔が減って、うつむきがちになっているのを見ると、涙が出てきます。親は自分の都合ばかりを考えずに子供の立場で、考え直してください。女性が(もちろんお母さんも含めて)働くことに意義を認めているからこそ、子供が犠牲になっているのを見過ごせません。収入を得るのに経費はつきものです。家を留守にするからには、子供の生活をきちんと設計すべきだと思います。そのお手伝いを学童保育室は担っていきたいと思っています。有職主婦人口に比して、保育室の学童が少なすぎることに、大きな疑問を抱きます。
私は二人の子供を保育室にお預けしていますが、この一年、集団遊びがだんだん上手になってきて、活発になってきたことを感謝しております。同時に、私も家庭教育とは何か、福祉とは何かを考える良い勉強になりました。
志賀学童保育室の開設で、嵐山町の福祉行政が一歩前進したことを喜んでおりましたが、五十七年四月には菅谷小学校の方にも開設されそうな状勢になってきたそうで、更に一歩前進と、うれしく思います。学校・家庭・地域の教育力で、明るい、はつらつとした子供を育てていくうえでも、保育室の役割は重要と思います。いずれは、保育室に入っていない子供たちを含めての楽しい企画を実行出来るような力を付けていきたいと思います。地域の皆様、志賀小の先生方、町の方々、皆様の一層の御支援をお願いいたします。