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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第10節:嵐山町誌

四、村の地名

第5節:特殊な地名

地形地物によるもの

▽井の上(居屋敷)

 遠山村に井の上がある。井とは井戸のことである。赤井といえば有名な平沢村の赤井の井戸を思い出す。井の上は水に関係ある地名だと思っていた。ところが遠山の井の上は、以前の水車に入る道の両側の部分で、遠山で一番水のないところだという。甚だ当の外れた話になるのである。昔、地名の始った頃には井戸があったのだが、それが涸れて村人が皆忘れてしまったのだろうという説明も出来そうだが、実はそれよりももっと筋の通った説がある。
 これによれば「ヰ」というのは、居(い)、即ち、民居、家居の「い」で、いる場所、住んでいる場所のことであるという。「イナカ」という言葉がある。この言葉を知らぬ人はない。然しどうして「イナカ」というのかと聞かれると、いささか困るであろう。都会でないから田舎(いなか)さ、といったのでは説明にならない。
 ここに三百年来の切支丹(きりしたん)が沢山隠れて住んでいた僻村(へきそん)がある。西の方に小さな湾を控えた簡単な一盆地で、人家は大てい山の裾に構えられ、道路も幹線は麓に沿って走っている。狭い盆地であるからなるべく耕作地を潰さぬように工夫しているわけである。この村の地図を見ると、その中央の田のある部分に「イナカ」と書いてあるという。成程人家が山の麓にあって、田をとりまいているのであるから、居の中、イナカである。イナカの意味がこれではじめて納得いくわけである。
 井の上の「イ」はこのイナカの「イ」であるとなれば、これはわざわざ水に関係づける必要はない。数軒の家居のかたまりがあって、その上の方だから、居の上といったのである、とすれば立派に筋が通るではないか。
 居屋敷の地名もこれに便乗して考えることは出来ないであろうか。屋敷は人の住む場所である。何故にこれに居の字をつけて、くどくしたのか。山麓の家居のある地帯に囲まれた中だから居中(イナカ)だとすれば、家居のある地帯は居屋敷とはいえないか。人の住む屋敷の地帯の意味である。昔四月一日の入学式には、受持の先生から「居場(いば)」を定められて小学生の仲入りをした。居場とは今なら「お席」であり、「机」のことである。場だけでもいいわけである。居場は居屋敷に通ずる言葉である。

『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
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