第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
比企郡神社明細帳
埼玉縣武蔵國比企郡菅谷村大字将軍澤(しょうぐんざわ)字東方
村社日吉神社(ひよしじんじゃ)
昭和二一、一〇、一五 法人登記済
一、祭神(さいじん)
大山咋命*1
天照大御神*2
軻遇突智命*3一、由緒 不詳
明治四十一年(1908)三月三日上地林(じょうちりん)五畝三歩境内編入許可
明治四十二年十月二十五日境内神社神明社(しんめいしゃ)愛宕社(あたごしゃ)ノ二社ヲ本殿ニ合祀ス一、社殿
本殿 外宇*4 拝殿*1:大山咋命(おおやまくいのみこと)…家内安全や農業などの産業振興のご利益をもつ。
*2:天照大御神(あまてらすおおみかみ)…国土平安、家内安全、商売繁盛、武運長久、学業成就などのご利益。
*3:軻遇突智命(かぐつちのみこと)…火の神・防火の神。
*4:外宇(がいう)…外の建物。一、境内
五百三十二坪 昭和廿三年(1948)四月廿七日 五二九坪
決 昭和二十五年(1950)三月二十八日 五三三坪五合一、氏子 貮拾戸
一、境内神社
将軍社 祭神 坂上田村麿(さかのうえたむらまろ)
由緒
當社古記録等傳フル無ク創立年紀詳(つまびらか)カナラス。唯古老ノ口碑ニ傳フルハ往古(おうこ)坂上田村麿将軍東夷*1征伐ノ際近傍岩殿山に毒龍アリテ害ヲ地方ニ加フ。将軍之ヲ退治シテ土人*2ヲ安カラシム。其時夏六月一日ナリシモ不時降雪寒気強カリシヨリ土人麦藁(むぎわら)ヲ将軍ニ焚(た)キテ暖(だん)ヲ與ヘリ。其后(そのご)土人将軍ノ功徳(くどく)ヲ賞シ之ヲ祭祀崇敬セリト云フ。現今年々六月一日土人麦藁ヲ焚キテ祭事ヲナスハ古ヨリ例ナリ。当社古来本村旧字大宮ト唱フル地ニ鎮座アリテ坂上田村麿将軍大宮権現ト稱セリ(本村々名及旧字大宮ノ地名蓋(おもうに)当社ニ因(よって)テ起リシナラン)御一新*3ニ至リ明治七年(1874)三月當所ニ奉遷(ほうせん)シ将軍社ト改称セリ*4 社殿 本殿稲荷社 祭神 倉稲魂命*5
由緒 不詳
社殿 本殿神明社 祭神 大山祇命*6
由緒 不詳
社殿 本殿*1:東夷(とうい)…東の蝦夷(えぞ)。
「昭和38年度文書 埼玉県学事課 比企郡神社明細帳」
*2:土人(どじん)…土地の人。
*3:御一新(ごいっしん)…明治維新。
*4:『新編武蔵風土記稿』によれば、大宮権現社には藤原利仁(ふじわらとしひと)将軍が祀られている。伝えではその権現社は藤原利仁がこの地を通ったとき休んだ塚の上にあった。将軍沢の名はこれに由来すると記されている。藤原利仁は平安時代中期の武人で、鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)である。
*5:倉稲魂命(うがのみためのみこと)…穀物・農業の神。
*6:大山祇命(おおやまつみのみこと)…山の神。
日吉神社境内図『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁、1992年)1431頁