第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
広野村
地誌
比企郡 廣野村*1
武蔵国比企郡廣野村
本村古時ヨリ三部ニ分レ東南ノ壱部ヲ川島トシ北ノ壱部ヲ勝田トシ本郡松山領ニ屬シ村名改稱分郷等ノ事ナシ
*1:廣野村(ひろのむら)…現・埼玉県比企郡大字広野。
疆域
東ハ伊子(いこ)太郎丸水房(みずふさ)ノ三村ト山林丘陵ヲ或ハ田畝ヲ以テ界トシ正南ハ月輪(つきのわ)村ト田畝山林ヲ以テ境トス南ヨリ西ハ志賀村杉山ノ二村ニ接ス正西ハ越畑村ト田畝ヲ畫(くぎ)リ北ハ吉田村ニ憐シ北ヨリ東ハ滑川ヲ隔テヽ和泉(いずみ)菅田(すがた)ノ二村相接ス
幅員
東西拾町五十六間南北拾五町五拾間
面積實測ヲ経ス暫ク欠ク 十五年二月十四日本郡戸上申面積六拾壱万八千百五十壱坪管轄沿革
天正(1573-1592年)ノ頃松山領ト言傳ス文禄元年(1592)二月一日徳川氏ノ家臣高木九助廣正之ニ代リ知行トス元禄十一年(1698)寅五月高木廣正遠江ニ知行ヲ遷スニ因リ本村四分ノ三ヲ黒田豊前守代リ領ス其ノ四分一ヲ御代官高谷太兵衛ニ代リ支配ス同暦十一年七月嶋田藤十郎高谷太兵衛ニ代リ知行ス元禄十四年(1701)正月比企長左エ門黒田氏ニ代リ支配ス同暦十七年(1704)其ノ三分ノ一ヲ木下伊賀守ヘ渡ス同人之ヲ知行トス残リ三分ノ二ヲ宝永二酉年(1705)正月内藤主膳ヘ渡ス同人之ヲ知行トス其残地ヲ宝永四亥年九月大久保筑前守ヘ渡ス同人之ヲ知行トス元禄十一年ヨリ寳永四年マテ拾年間ニ漸々本村四給ニ分ル明治元辰年(1868)王政復古ニ際シ同年八月品川縣ノ管轄スル処トナリ仝二巳年九月韮山縣ニ轉ス以後明治四年(1871)十一月ニ至リ又入間縣ニ轉シ同六年熊谷縣ノ所轄スル処トナリ
里程(りてい)
熊谷縣廳ヨリ南方貮里三十丁
四隣同郡伊子(いこ)村ヘ三拾町 本村及各村共ニ元標ナキヲ以テ皆掲示場ヨリ掲示場迄距離
月輪(つきのわ)村ヘ三十三町三十二間杉山村ヘ九町和泉(いずみ)村ヘ廿八町太郎丸村ヘ拾四町廿四間近傍(きんぼう)宿町本郡松山町イ貮里拾七町五間小川村イ壱里十八町地勢
東ハ岡巒起伏シ雜樹叢生ス西南ハ地形平衍(へいえん)ニシテ其中央ヨリ西南ニ賀須川ヲ帯(お)ビ下流市ノ川ニ入ル舟楫*1通セス北ハ滑川ヲ帯(お)ビ舟筏*2便ナラス但薪炭(しんたん)ノ欠乏ヲ知ルモノ稀ナリ
*1:舟楫(しゅうしゅう)…舟によって物を運ぶこと。舟運。
*2:舟筏(しゅうばつ)…ふねといかだ。地味(ちみ)
其色赤黒壚土粘土(方言ノツチ ネバツチ)相混シ過半壚土ヲ交エ稍ニ稲梁(とうりょう)ニ宜シク桑茶ニ適セス水利便ナラス時々水旱(すいかん)ニ苦シム
税地
田 旧反別四十壱甼五反七畝廿四歩
改正反別四十八甼七反四畝十五歩
畑 旧反別四十七甼四反九畝十二歩
改正反別四十六甼三反壱畝十八歩
宅地 旧反別貮甼八反貮畝廿三歩
改反別九甼六反三畝十七歩
山林 旧反別貮十弐甼八反二歩
改正反別七十四甼八反四畝十一歩
芝地 旧反別四反八畝廿二【四?】歩
改正反別貮町九反四歩
總計 旧反別百拾甼壱反八畝廿五歩
改正反別百八十二町四反八畝壱歩飛地
本村ノ東南川島ノ壱部ハ太郎丸水房(みずふさ)月輪(つきのわ)志賀村ノ四村ノ間ニ
旧反別三十二町四反三畝廿歩
改正反別六十壱町六反二畝廿六歩
内
田 旧反別九甼【一反五畝二十三歩】
改正反別十壱甼三反八畝廿七歩
畑 旧反別拾貮町三反五畝八歩
改正反別拾貮甼六反九畝十四歩
【宅地 七反九畝十五歩 山林 九町九反八畝十六歩】
本村北方勝田ノ壱部ハ勝田吉田伊子(いこ)和泉(いずみ)ノ四村ノ間ニ挟リ
旧反別九町七反三畝五歩
改正反別十三甼八反六畝壱歩
内
田 旧反別四町四反貮畝四歩
改正反別四町八反貮畝十二歩
畑 旧反別三町八反壱畝九歩
改正反別三町九反三畝廿九歩
宅地 旧反段別三反四畝壱歩
改正反別□□□□□歩
山林 旧反壱甼壱反五畝廿壱歩
改正反別四町壱反貮畝六歩字地
中郷(なかごう) 村中央掲示場ノ位置東ヘ百二十八間西ヘ四十間南ヘ百三十八間北ヘ八十五間
下郷(しもごう) 中郷ノ東南ニ当リ東西百八十間南北二百四拾五間
廣野ヶ谷戸(こうやがやと) 中郷ノ西北ニ当リ東西百四十三間南北百七十四間
川島 本村東南ニ当リ東西五百六十八間南北三百五十間
勝田 本村ノ北ニ当リ東西二百五十間南北四百二十四間貢租(こうそ)
地租(ちそ) 旧税 米百三十九石九斗七升四合
金八百六十九円九十五銭壱厘
新税 米四百八十八石九斗壱升六合
金五百六十壱円壱銭五厘
賦金(ふきん) 旧国税金七十二円六銭九厘
旧縣税金拾壱円三十銭
新国税金二百八十円廿銭四厘
新縣税金百五十九円三十四銭五厘
總計 旧税 米百三十九石九斗七升四合
金九百五十三円三十二銭
新税 米四百八十八石九斗壱升六合
金一千円五拾六銭四厘戸數
本籍七拾四戸 平民 寄留*1三戸 平民 社二戸 村社二座
【寺二戸 曹洞宗一宇 堂一宇 総計八十一戸】人数
男百貮拾五口 平民 女貮百三十口 平民 聰計三百五十五口
他出寄留*2男四人女四人
外寄留男五人女五人*1:寄留(きりゅう)…90日以上、本籍地以外の一定の場所に居住する目的で住所または居所を有すること。
*2:他出寄留(たしゅつきりゅう)…転出者のこと。牛馬
牡馬四拾頭
舟車
荷車壹輌
山
金讃山(かなさなやま) 高サ三拾六丈余周回本村ニ限リ八町五十八間村ノ東方ニアリ岩石聳(そび)エ樹木過半生セス登路一條稍ニ険ナリ西方字下郷ヨリ登ル五丁余
川
市ノ川 深キ所五尺淺キ処五寸廣キ処五間狭キ処二間緩流水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤防アリ村ノ東南岩花ヨリ東方月輪(つきのわ)境ニ至リ長拾壱丁五十一間水流志賀村ヨリ来リ月輪(つきのわ)ニ至ル長サ三十壱丁四拾間
滑川 深キ処ハ四尺淺キ処ハ五寸廣キ処五間狭キ処ハ三間緩流水色濁リ吉田村ヨリ来リ伊子(いこ)村ニ至リ其間七丁五十六間田貮町歩ノ用水ニ供ス
大橋 小川道ヲ屬ス村ノ西方ニ当リ三町二尺賀須川ノ中流ニ架ス長サ三間[三尺]巾貮間土造森林
明神*1林 官有ニ屬ス東西五十間南北三拾二間段別貮反七畝廿六歩村ノ東南貮丁壱間ニアリ大樹繁茂(はんも)シ雜木多シ
鬼神林 官有ニ属ス東西三十四間南北二十間段別七畝九歩村南方二十三町五間ニアリ大樹繁茂シ夏時納涼ニ適ス*1:八宮神社の通称
原野 ナシ
牧場 ナシ
礦山 ナシ
湖沼
・廣野ヶ谷戸溜池(異名殿ヶ谷戸沼〈とんがいとぬま〉) 東西十九間南北十八間周回五十七間 村ノ西北ニアリ田壱町七反九畝九歩ノ用水ニ供ス
・石倉上ノ溜池*1 東西三十八間南北六十二間周回百七十七間村ノ西北ニアリ田壱丁五反歩ノ用ニ供ス
・石倉下ノ溜池*1 東西二十八間南北三【十三】間周回百〇壱【二十二?】間村ノ西北ニアリ田壱町壱反歩ノ用水ニ供ス
・寺前溜池 東西三十四間南北三十七間周回六百間村ノ西北ニアリ田壱町壱反歩ノ用水ニ供ス
中郷溜池【わきのぬま】(異名宇塔坂沼〈おとうざかぬま〉) 東西三十壱間南北拾間周回壱町拾三間村ノ東ニアリ田壱町歩用水供ス
・大野田溜池(異名弁天沼) 東西三十八間南北三十九間周回貮丁八間村北東ニアリ田三町五反歩ノ用水ニ供ス
・大野田手洗溜池(異名盥沼〈たらいぬま〉) 東西十二間南北十二間周回四十七間村ノ北方ニアリ田四反三畝歩ノ用水ニ供ス
・金塚順平溜池(かねづかじんべいためいけ) 東西二十間南北二十間周回壱丁八間村ノ東ニアリ田壱町三反貮畝廿歩用水ニ供ス
・金塚溜池(異名深谷ツ沼) 東西十五間南北三十七間周回壱丁五十二間村ノ東ニアリ田壱町壱反七畝歩用水供ス
・深谷ツ溜池(ふかやつためいけ)(異名雨ヶ谷沼) 東西二十八間南北二十五間周回壱丁二十五間村ノ東方ニアリ田壱町三反五畝十五歩用水供ス
・下郷溜池(異名ウシロ□ノ池) 東西三間南北十三間周回壱丁十九間村ノ東南ニアリ田壱反九畝廿歩ノ用水供ス
・金皿溜池(異名ノ扇沼)東西六十間南北六十間周回三丁十一間村ノ東ニアリ田五町七反歩ノ用水ニ供ス
・花見堂溜池 東西十二間南北二十四間周回壱丁壱間村ノ南東ニアリ田九反八畝十四歩ノ用水ニ供ス
・天沼溜池 東西壱丁南北五十四間周回三丁村ノ南ニアリ田六町八反七畝廿六歩ノ用水ニ供ス
・□山溜池 東西四十六間南北十七間周回壱丁三間村ノ東南ニアリ田壱丁八反歩ノ用水ニ供ス
・猿田溜池 東西五十【三間南北二十】四間周回二町五十八間村ノ北方【ニアリ】壱町八反七畝廿五歩用水供ス*1:上・下あわせて谷沼
道路
熊谷道 村ノ西方武蔵國比企郡杉山村ヨリ入リ北方本郡勝田村ニ至ル長サ九町二間巾壱間半道敷ナシ本郡小川村ヨリ大里郡熊谷驛ニ達スルノ経路ナリ
掲示場 村ノ中央字中郷民有地ニ有リ塘堤
囲堤(いてい) 市ノ川ニ沿ヒ南方本村字岩花ヨリ連続シ東方月輪(つきのわ)境ニ至ル長拾壱町五十壱間馬踏*1壱間敷二間半修繕費用ハ民ニ属ス
*1:馬踏(ばふみ)…堤防の上を人馬が通行できるように平にした部分。
瀧 ナシ
温泉 ナシ
冷泉 ナシ
陵墓
高木廣正墓 村ノ北方廣正寺境内ニアリ碑石依然トシテ存高木氏ハ後陽成帝ノトキ徳川氏ノ家臣ニシテ功多シト□□ス慶長十一丙午年(1606年)七月廿六日卒ス
社
八宮神社 村社々地東西十五間南北十三間面積百六十坪村ノ東南ニアリ建速須佐之雄命(たけはやすさのおのみこと)ヲ祭ル勧請年月不詳祭日五月十日老杉三本小樹草生ス
鬼神神社 村社々地東西三十二間南北十四間面積三百三十壱坪村ノ南方ニアリ衝立久那止命(つきたつくなどのかみ)ハ衢比古命(やちまたひこのみこと)ハ衢比賣【命】(やちまたひめのみこと)勧請年月不詳祭日四月廿四日十月十八日老松数本寺
廣正寺 東西四十間南北五十間面積千八百六十九坪曹洞宗武蔵國比企郡市ノ川村永福寺末派ナリ村ノ西北ニ有リ慶長十酉年(1605年)麾下高木九助廣正開基(かいき)創建ス
藥師堂 東西十九間南北十八間面積貮百坪學校
村ノ西方同郡杉山村椙山(すぎやま)小斈校
通斈生徒 男二十二人 女十七人事務所
村ノ中央字中郷永島竹次郎ノ宅舎ヲ仮用ス村ノ事務ヲ取扱
病院 ナシ
郵便局 ナシ
製絲場 ナシ
古跡 ナシ
名勝 ナシ
物産
動物 繭 質美悪相混ス八石 鶏 二百四十羽 鶏卵 一千五十
植物 米 質美二百四十三石 大麦 質美九十六石 小麥 質美百三十石八斗 大豆 質美百六十石 小豆 質美【十九石】九斗 粟 質悪壱石七斗五升 蕎麦 質悪八石
器用物 鎌 二百挺
製造物 生絹(きぎぬ) 質美百五十疋(ひき)本郡小川村ヘ輸送ス 薪 八百駄民業
男 農桑(のうそう)ヲ業トスモノ六十七戸工ヲ業ヲスルモノ七戸
女 農業紡織ヲ業トスルモノ百四十人前記之通編輯仕候ニ付此段上申候也
右村
戸長 井上萬吉
明治十四年二月十七日埼玉縣令白根夛助殿
中郷掲示場ヨリ太郎丸村境迄拾貮町四十八間
『武藏國比企郡広野村地誌』
同所より太郎丸村掲示場江拾四丁貮拾四間
同所より川島鬼神迄貮拾三丁五間
同所より月輪(つきのわ)村境迄三拾貮丁拾七間
同所より月輪(つきのわ)村掲示場江三拾三丁三拾貮間
同所より松山町元標江貮里拾七丁五間