第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
吉田村
明治十六(1883)年七月十二日
社寺明細帳
比企郡吉田村
埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字宮山
村社
六所神社一、祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
一、由緒 寿永弐年(1183)九月十五日創立
一、社殿 間口弐間三尺 奥行三間
一、境内反別 百弐拾九坪 官有地第一種
境内
一、稲荷神社 壱社
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
建物 但間口三尺五寸 奥行三尺
一、氏子 四拾戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】之通取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
右【上】村氏子惣代
藤野兵左衛門
仝断
中嶋半次郎
戸長
藤野文八
埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字陣屋東
村社
峯野神社一、祭神 大山祗命(おおやまつみのみこと)
一、由緒 慶長五年(1600)折井市左衛門源次忠ノ創立
一、社殿 間口弐間 奥行弐間
一、境内反別 百弐拾五坪 官有地第一種
境内
一、稲荷神社 一社
祭神 倉稲魂命
建物但間口三尺五寸 奥行三尺八寸
一、琴平神社 一社
一、社殿 但間口壱尺五寸 奥行八寸
一、氏子 弐拾壱戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】之通取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
右【上】村氏子惣代
内田太一郎
鞠子萬右衛門
戸長
藤野文八
埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字宮田
村社
手白神社一、祭神 手白香姫命(たしらかひめのみこと)
一、由緒 天治元年(1124)九月十五日創立
一、社殿 間口壱間四尺 奥行壱間四尺
一、境内反別 百六拾四坪 官有地第一種
境内祭神 壱社
祭神 倉稲魂命
社殿 間口三尺五寸 奥行三尺五寸
一、氏子 拾壱戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】之通取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十二日
右【上】氏子惣代
嶋田藤右衛門
小林磯五郎
戸長
藤野文八
埼玉縣武藏國比企郡吉田村字西ノ谷
村社
五龍神社一、祭神 高霊神命(たかおかみのかみのみこと)
一、由緒 建長七年(1255)九月十五日創立
一、社殿 間口五尺 奥行六尺
一、境内反別 六拾四坪 官有地第一種
一、氏子 八戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】之通リ取調候処相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十二日
氏子惣代
好田佐吉
小林初太郎
戸長
藤野文八
埼玉縣管下武藏国比企郡吉田村字宮田
村持
嚴嶋神社一、祭神 弁戈天命
一、由緒 永久弐年(1114)四月創立
一、神殿ハ石 間口壱尺弐寸 奥行壱尺
一、境内 八坪 官有地第一種
一、信徒 拾壱戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】之通取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
右【上】信徒惣代
嶋田藤右衛門
小林磯五郎
戸長
藤野文八
埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字長竹四百卅番
村持
稲荷神社一、祭神 倉稲魂命
一、由緒 天正三年(1575)四月創立
一、神殿ハ石 間口壱尺 奥行壱尺弐寸
一、境内 弐坪 官有地第一種
一、信徒 八戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
右【上】信徒惣代
荒井新兵衛
荒井太右衛門
小林常吉
戸長
藤野文八
埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字清水
村社
白山神社一、祭神 大山祗命
一、由緒 天明弐年(1782)九月ノ創立
一、神殿石 間口弐尺 奥行壱尺
字清水弐千百四十□番
一、林反別三畝廿壱歩 民有地第壱種
地價金 三拾七銭 山越新造受
地租(ちそ)金 九厘
内 民有地第壱種
境内拾歩 山越新造受
一、信徒 六戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
信徒惣代
山越新造
山越長兵衛
山越富八
戸長
藤野文八
埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字中谷
村持
観音堂一、本尊 拾壱面正観音
一、由緒 寛永十一年(1634)三角坊ノ開基(かいき)創立タリ
一、本堂 間口弐間三尺 奥行三間
一、観音堂境内敷 此坪数八拾壱坪 官有地第一種
一、信徒 四拾戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】之通取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
信徒惣代
藤野政次郎
馬場久左衛門
戸長
藤野文八
埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字三反田
村持
釋迦堂一、本尊 釈迦牟尼佛
一、由緒 天明元年(1781)荒井甚平之創立ニシテ後宗心寺ヘ寄附
一、本堂 間口三間 奥行三間壱尺
一、境内 此坪数百拾壱坪 民有地第弐種
此地價金三拾弐銭 宗心寺
一、信徒 四拾戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】之通リ取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
信徒惣代
鞠子萬右衛門
内田太一郎
戸長
藤野文八
埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字前
村持
阿彌陀堂一、本尊 阿弥陀如来
一、由緒 寛永二年(1625)九月十五日ノ創立
一、本堂 間口弐間三尺 奥行四間
一、阿弥陀堂敷 此坪数百九拾弐坪 官有地第四種
一、信徒 四拾戸
一、管轄廰迄距離 拾四里
右【上】之通リ取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
信徒惣代
鞠子萬右衛門
内田太一郎
戸長
藤野文八
埼玉縣武藏國比企郡吉田村字馬場
同郡中尾村慶徳寺(けいとくじ)末
曹洞宗通幻派*1 宗心寺*1:通幻は曹洞宗の僧侶。越前武生に元享二年(1322)生まれ。明徳二年(1391)越前武生龍泉寺で没。総持寺五世(妙高庵開基(かいき))、兵庫県永澤寺・石川県聖興寺(廃寺)、千葉・滋賀県総寧寺開宗心寺開山(かいざん)。禅師亡き後は「通幻十哲」と呼ばれる弟子たちが全国に曹洞宗の教えを広め、爆発的に各地に寺院を開いて檀信徒を獲得。現在、全国一万五千の曹洞宗寺院のうち、九千ヶ寺が通幻禅師の流れを汲んでおり、「通幻派」として一大勢力を形勢。龍泉寺はその通幻派の本山として、丹波の永澤寺とともに、宗門に重き立場をなす。
一、本尊 釈迦牟尼佛
一、由緒 慶長五年庚子(1600)開山(かいざん)ハ雲哲和尚開基(かいき)折井市左衛門源次忠ノ創立
一、本堂 間口八間三尺 奥行六間三尺
外ニ間口貳間 奥行壱間四尺 玄關上【?】
一、境内此坪數 千六百六拾五坪 民有地弐種
此地價金 百拾六円八拾銭 宗心寺受
一、境内建物
白山妙理権現堂 間口三尺 奥行三尺
由緒 慶長五庚子年(1600)雲哲和尚ノ創立
一、鐘樓(しょうろう) 壱宇 壱間四面
一、庫裏(くり) 間口 九間三尺 奥行 三間三尺
一、土蔵(どぞう) 間口 弐間 奥行 三間
一、衆寮(しゅりょう) 間口 五間三尺 奥行 弐間
一、隠寮(いんりょう) 間口 五間 奥行 三間
一、木小屋 間口 四間 奥行 弐間
一、境外(けいがい)所有地 民有地第一種
字寺前 百三十弐番
一田 壱畝壱歩 此地價金 八円弐十一銭六厘
字宮田 九百四十一番
一宅地 四畝拾弐歩 此地價金 拾円六拾五銭
字八反田 弐百弐番
一田 壱反弐畝廿三歩 此地價金 七拾円三拾壱銭九厘
字亀井作 弐千百弐
一田 弐反弐畝九歩 地價金 八拾四円四十五銭六厘
字前 八百九十八番
一畑 壱反九歩 地價金 拾弐円六十銭七厘
字馬場 千五十番
一畑 四畝十九歩 此地價金 六円拾九銭七厘
字仝所 千五十一番
一畑 弐畝拾五歩 地價金 弐円七拾六銭九厘
字馬場 千五十弐番
一畑 壱反三畝拾九歩 地價金 拾九円八十一銭四厘
字仝所 千五十六番
一畑 弐反八畝拾九歩 地價金 三拾八円三拾弐銭七厘
字仝所 千五十四番
一畑 三畝三歩 地價金 三円四十四銭三厘
字仝所 千五十七番
一畑 四畝九歩 地價金 六円七十四銭七厘
字馬場 千五十九番
一畑 四畝廿七歩 地價金 七円六十八銭一厘
仝所 千六十壱番
一畑 九畝拾三歩 地價金 四円九十弐銭七厘
字宮田 九百四十七番
一林 六反九畝廿八歩 地價金 拾円四拾九銭
仝所 九百六十七番
一林 壱反壱畝拾八歩 地價金 壱円七十四銭
字馬場 千弐十番
一林 六畝七歩 地價金 九十三銭五厘
字仝所 千五十三番
一林 九反三畝八歩 地價金 拾三円九拾九銭
字仝所 千六十九番
一林 壱町壱反九畝十九歩 地價金 拾七円九十四銭五厘
字小在地 千弐百五十七番
一林 弐十一歩 地價金 拾銭五厘
字鶴巻 千九百十弐番
一林 壱反壱畝壱歩 此地價金 壱円六拾五銭五厘
字山下 千九百五十一番
一林 九百五畝十三歩 此地價金 拾四円三十一銭
字天神臺 弐千十六番
一林 壱反九畝廿九歩 此地價金 弐円九拾九銭五厘
一、檀徒人員五百五十四人
一、管轄廰迄距離拾四里
右【上】取調候所相違無御座候也
明治十六年(1883)七月十弐日
檀徒惣代
嶋田新太郎
嶋田藤右衛門
戸長
藤野文八字明賀 第弐百七拾番
『社寺明細帳』比企郡吉田村, 1883年(明治16)7月12日
一田 五反廿壱歩 地價金貳百六拾壱円八拾壱銭四厘
明治十八年(1885)六月十八日 小林政右衛門ヨリ買受済