第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
比企郡 (八)
遠山村(比企郡菅谷村大字遠山)*1
遠山村(とおやまむら)モ玉川領ニ属シ江戸ノ里数モ前ニ同ジ*2。民戸二十余。東ハ千手堂(せんじゅどう)・平沢(ひらさわ)ノ二村ニ隣リ、南ハ田黒村(たぐろむら)ニテ、西北ハ下里村(しもざとむら)ニ接(せつ)セリ。東西二十町余、南北十七町許(ばか)リ。御入国*3ノ後ヨリ御料所*4ナリシガ、宝永六年(ほうえい)(1709)内藤某ニ賜リ今モ子孫主膳(しゅぜん)知行セリ。撿地(けんち)ハ前村ニ同ジ*5。
*1:現・埼玉県比企郡嵐山町大字遠山
*2:下里村(しもざとむら)から江戸まで17里と同じ。
*3:御入国(ごにゅうこく)…徳川家康が1590年(天正18)に江戸城に入ったことをさす。
*4:御料所(ごりょうしょ)…幕府の直轄地。
*5:下里村の1668年(寛文8)坪井次右衛門実施と同じ。高札場*1 村ノ中程ニアリ。
小名 滝守 井上 小林 蛇谷 中沢 茗荷沢 打越 横吹
槻川(つきがわ) 村内南ノ方ヲ流ル。川幅十間*2許(ばか)リ。
八幡社 村ノ鎮守ナリ、遠山寺(えんざんじ)持。
稲荷社
神明社 共ニ村民持*1:高札場(こうさつば)…掟(おきて)などを書いて、人目を引く所に掲(かか)げた立て札の場所。
*2:間(けん)…1間は約1.8メートル。遠山寺(えんざんじ) 曹洞宗*1、上野国緑野郡(こうずけのくにみどのぐん)御嶽村永源寺末、長谷山(ちょうこくさん)ト号ス。寺領十石ノ御朱印(ごしゅいん)ハ慶安二年(けいあん)(1649)賜(たま)フ所ナリ。開山ハ漱怒全芳*2永正十五年(えいしょう)(1518)十二月十五日示寂(じじゃく)、開山ハ遠山右衛門太夫光景(とおやまうえもんたゆうみつかげ)ト云フ。過去帳ヲ見ルニ当寺開基無外宗関(むげそうかん)居士(こじ)コノ父政景(まさかげ)也。天正八年(てんしょう)(1580)三月廿三日開基桃雲宗見(とううんそうけん)大居士遠山右衛門大夫藤原光景天正十五年(1587)五月廿九日トアリ、按(かんがえる)ニコノ二人トモニ開基トノセ、宗関居士ノ下ニ此父政景也トアルニヨレバ、其実光景が父政景ノ追福(ついふく)ノタメニ当寺を草創(そうそう)シテ、父ヲ開基トセシヲ合セテ二人共開基ト記セルニ似(に)タリ。又開山ノ寂*3永正十五年トナレバ是(これ)モ請待開山(しょうたいかいざん)ナルベシ。又按ニ隣村田黒村(たぐろむら)ニ、遠山右衛門大夫光景が城蹟*4ト云フ地アルヲ以テ考フレバ、当時此辺彼ガ所領ナリシコト知ラル。光景が事蹟(じせき)ハ他ノ書ニ所見ナケレド、此人モ甲斐守綱景*5等ノ一族ニテ共ニ北条氏ニ仕ヘシ人ナルベシ。 ○鐘 本堂ノ軒(のき)ニ掛ク。銘文(めいぶん)中ニ遠山右衛門大夫光景家臣杉田吉兼ト云フ者、大檀那*6トシテ鋳造(ちゅうぞう)セシ鐘ナリシガ後*7破壊(はかい)セシニヨリ、元祿十一年(げんろく)(1698)当寺十一世畦峻和尚*8ノ代ニ再造セシコトヲ載ス。
地蔵堂 村民持*1:曹洞宗(そうとうしゅう)…1227年、道元が中国から伝えた禅宗の一派。臨済宗と並ぶ禅宗の二大宗派。
『新編武蔵風土記稿第16巻』「比企郡(八)」 新編武蔵風土記稿刊行会, 1957(昭和32)1月15日
*2:漱怒全芳…漱恕全芳(そうじょぜんほう)が正しい。
*3:寂(じゃく)…死亡する。
*4:小倉城址(おぐらじょうし)のこと。
*5:甲斐守綱景(かいのかみつなかげ)…北条氏の家臣の遠山丹波守綱景。
*6:大檀那(おおだんな)…重立った寺の檀家(だんか)。布施などを多くする人。
*7:雄山閣版では「彼」。
*8:畦峻和尚…圭峻大和尚が正しい。