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行司免遺跡周辺の復元イラスト

行司免遺跡周辺の復元イラスト

(画 中里美智子)
北側・菅谷館方面から行司免遺跡、笛吹峠方面をみたところです。

都幾川を遡れば篩新田(ふるいしんでん)のムラや慈光寺(ときがわ町)に、鎌倉街道上道を下れば金平の鋳物師のムラや平沢寺方面へとつながります。こうした周囲のムラや寺院とは物資・文化両面を通じて強い関連があったと思われます。

集落の北側、都幾川左岸には畠山重忠の居館・菅谷館が、集落の周囲には大蔵宿、大蔵館、宮ノ裏の寺院があり、単に「人と物」だけでなく、「権力と文化」の集まる所でもありました。

東国の政治・文化の中心地鎌倉から続く軍事・経済の主要道路鎌倉街道上道が笛吹峠を越え、大蔵宿を抜けて菅谷の台地へと向かい、内海(東京湾)からさかのぼってきた都幾川の水路には小舟により物資が運ばれています。

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