(鎌倉市教育委員会提供) 源頼朝が奥州合戦の戦没者をともらうために建立した浄土系寺院。二階堂を中心に両脇に阿弥陀堂、薬師堂を配しそれぞれを複廊で結び、さらに園池に向かって翼廊が伸びる大伽藍でした。畠山重忠は永福寺とゆかりがあって、後には奉行人としても深く関わりました。平沢寺同様、山を背景に東を向く構成をとっています。