(古代末から中世前半) 系図上で、嵐山町での活動が確認できる人物は、経筒銘の重綱、大蔵合戦の重隆、重能、菅谷館の重忠の四世代4人。これは、偶然でなくこの時代に秩父氏系諸氏が嵐山町周辺を拠点に活動していたことの証といえます。重綱はまさに後続する秩父一族諸氏の先駆けを果たした人物といえるでしょう。