(国立公文書館内閣文庫蔵) 『東路の津登』は連歌師宗長の連歌を載せた紀行文。1509(永正6)年7月、駿河国(静岡県)から白河(福島県)を目指して出発。宇都宮まで至り、兵乱と大雨のため白河行きを断念。帰路、鉢形を経て須賀谷の小泉掃部助の宿所にて1日休み、平沢寺あたりにも立ち寄り歌を詠み、簡潔に寺の様子を伝えています。それによると、平沢寺の本尊は当時不動尊で、池があり古い松がみられ、また歌中の「岩根」のことばから池に大石があったことがわかります。