現在の大蔵神社は、明治になってから周辺にあった稲荷社や山王社などを合祠(ごうし)したものです。この付近の地形は、周囲よりも一段高くなっており、土塁や堀もひときわ規模が大きく造られています。おそらく館の主の屋敷のような重要な建物があったところと考えてよいでしょう。