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大蔵館の復元イラスト

大蔵館の復元イラスト
行司免遺跡には集落が形成されて物流の拠点としての市のような場所でもあったと考えられます。
宮ノ裏遺跡には江戸時代から明治のはじめ頃まで山王社がありました。鎌倉〜室町時代の瓦も多量に出土しています。
このあたりを掘之内といいます。
台地のすそに小川が流れ、都幾川もすぐ下を蛇行していたようです。
通称高見倉と呼ばれている土塁状の高まりのあるとことは、高み櫓(物見櫓)があったのだとも考えられます。
石組の井戸がこのあたりから発見されています。
館の主の住居はひときわ大きくりっぱな建物であったと考えられます。
馬場は、乗馬や弓の訓練をする大切な場所です。
掘立柱の倉庫群が建ち並びます。
館の大手口は鎌倉街道に面して東側に設けられていました。
現在の向徳寺は、元来は館の主の持仏堂のような性格からはじまったのかもしれません。
この道路は当時の鎌倉街道です。この付近が大蔵の宿があったところと考えられます。

(画 中里美智子)
鎌倉時代の終わりから南北朝時代頃の様子を発掘調査や地形測量図などをもとに復元想定して描いたものです。

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